2012年10月14日
壮大なる南米紀行(リマから帰路へ)
4月25日(水曜日)ー27日
アレキパを夜8時に出発したカマバス、約15~16時間の行程にも関わらず良く眠れたし、気分は上々。
飛行機のファーストクラス並みのVIP席、リクライニングもフルフラットとまではいかないまでもかなりの余裕。
ああ、最後にして求めていたバスに巡り合えた!
昼前にリマのバスターミナルに到着。
飛行機は深夜11:50発なので、時間は十二分にあるという訳。
ひとまず空港に行って、荷物を預けなくては。
この旅行中、みっちり鍛え上げた「交渉術」を駆使し、タクシーの運ちゃんと値段交渉の末、空港へ。因みに、最初の提示価格の半分(60/s→30/s)になりましたー。
勝手知ったる三度目のリマ空港。
百戦錬磨の私たち、もうつけ入る隙を見せない、きっと顔つきも変わったはず。
一度目の時の様に「カモ狙い」は寄り付きませんでしたねー。
空港内での昼食、フードコートのテーブルを確保し、その上に今までめいめいが蓄えてきた食料を惜しげもなく排出、そ、サバイバルは終わったのです。
バナナ、ミカン、パン、クッキー等など、マックでサラダと飲み物を買い、お腹いっぱい満足のランチとなりました。
こんな経験もきっと最後になるのでしょ。
今までアルゼンチン、ボリビア、チリ、ペルーと渡ってきて、出国の際には各国の通貨を全部使い切り、ほとんどゼロ状態。
ベテラン主婦には無駄は無いのです。
最後、会計さんの手元にある共通のお金はいくらかのペルーのソーレスとUS.$46.00。全額ソーレスに替えて、出国までのリマ観光にあてることにしました。
ダウンタウンまでのタクシー代、それに荷物の一時預かりの費用を差し引くと80/s(約2500円)。
これで夕食その他を賄うのです、ホントようやる!
あまり期待していなかったリマだけれど、さすがに首都だけあってアルマス広場にある重厚な建物は見ごたえがありました。
地図を頼りに4ブロックほど歩いたところに夕食処、目指すチャイナタウンはありました。
平日にも関わらずすごい混雑!中国人ってよっぽど群れるのが好きな人種なのですねー。
雑踏の中をくぐり抜けざっと街を一回り、適当なレストランを探します。
なるべくローカルの人達で賑わっているお店。ただ6時半と、時間が早いせいかどの店もそれほどの客の姿はありません。
こうなったらメニューと値段で判断。殆どの店が店頭にメニューを掲げていて、それを検証しながらいくつかの店を廻り、やっと皆のおめがねに叶う店を発見。
早い時間にも関わらず、結構人が入っているし…隣のテーブルでは美味しそうな具だくさんスープを食べている。
我々の財布が許す範囲での注文、計算機を持った会計さんにいちいちお伺いをたてて・・・それでも、お隣さんと同じスープと、野菜炒めとチャーハンを取ってまだゆとり有。
期待に違わず、良いお味。本場中国、庶民の味でした。
さて、満腹になったし、あとはタクシーで空港まで。8時までに着かないと、手荷物預かりで延長金が発生してしまう!残金は40/s余り。
ところが、片っ端から止めるタクシー、行き先を言うと首を横に振るのですー。なんだ、なんだぁ!
もしかしてこの時間労働時間が終わるので、近場で稼ごうというのかな。
空港までは40分ぐらいの距離、「しっかり働かんかいっ!」
何台かに乗車拒否をされた後、かなりオンボロの(日中ならちょっと引いた筈)白タクがやっと応じてくれました。
運転しているのは痩せぎすのおじさん。30/sで良いと言う。
しかしこのドライバー、ただ者ではなかったのですね。
全身から漂う暗めの雰囲気・・・。
混雑きわまりない町中、ニアミスも恐れずクラクションを鳴り響かせながら、右へ左へハンドルを切り、命知らずにぶっ飛ばす。
どう見ても楽しんでいるふうにはみえない、怒りをぶつけているのか、捨て身の運転・・・
途中、話しかけるなど考えも及ばない、ただ、助手席でシートベルトを握りしめ思わず発しそうになる声を押し殺し、ハラハラのし通し。空港までの距離がやたら長く感じられて、無事ターミナルの明かりが見えてきた時には思わず両手を合わせ、全身の力が抜けてしまいました。
「は~~・・・」
この幸運に感謝して、なけなしのお金を全部チップとして支払う事に、全員「異議なし!」。
全く、最後の最後にこんな試練が待っていたとは・・・
ま、お蔭で心配だった「手荷物時間の超過」は余裕でクリアーしましたけど。
カウンターで預けた荷物、受け取るのは日本に着いた時なのだと考えると、長かった旅の終焉を感じてちょっぴり感傷に浸ってしまいます
。後はベルトコンベアーに乗ったようなもので、手ぶらで提供されるサービスを受けていれば自動的に日本まで送られるはず。
空港では、今回旅先で出会った日本の若者とも再会したり、日本人の顔もポツリポツリと見られるようになってきました。
おやおや、日本語の場内アナウンスもあったりして。
中継地点のヒューストンでは手持ちのドルを使い切り、スタバでコーヒーを飲むと文明国に帰ってきたんだなーと、つくづく実感。
この旅を通して学習した「物の大切さ」をいつまで維持できるかなー。
次々と機内食が出てむだな食料が費やされ、無造作に捨てられていく。
現在、日付変更線を越えて4月27日(金曜日)、成田まであと3時間の海の上空にいます。
沖縄に帰ったらテニスで、でーじシェイプアップしなければ。
おしまい。
[長い間・・・]
気ままに綴ってきた「旅行記」を読んでいただき、ありがとうございました。
時に励まされながら、お陰様でこの旅行、何とか日本に帰り着くことができました。
今ちょっぴり達成感のようなものを味わっいる私デス。
今後もブログ「おきなわんライフ」をよろしくお願いしまーす。
アレキパを夜8時に出発したカマバス、約15~16時間の行程にも関わらず良く眠れたし、気分は上々。
飛行機のファーストクラス並みのVIP席、リクライニングもフルフラットとまではいかないまでもかなりの余裕。
ああ、最後にして求めていたバスに巡り合えた!
昼前にリマのバスターミナルに到着。
飛行機は深夜11:50発なので、時間は十二分にあるという訳。
ひとまず空港に行って、荷物を預けなくては。
この旅行中、みっちり鍛え上げた「交渉術」を駆使し、タクシーの運ちゃんと値段交渉の末、空港へ。因みに、最初の提示価格の半分(60/s→30/s)になりましたー。
勝手知ったる三度目のリマ空港。
百戦錬磨の私たち、もうつけ入る隙を見せない、きっと顔つきも変わったはず。
一度目の時の様に「カモ狙い」は寄り付きませんでしたねー。
空港内での昼食、フードコートのテーブルを確保し、その上に今までめいめいが蓄えてきた食料を惜しげもなく排出、そ、サバイバルは終わったのです。
バナナ、ミカン、パン、クッキー等など、マックでサラダと飲み物を買い、お腹いっぱい満足のランチとなりました。
こんな経験もきっと最後になるのでしょ。
今までアルゼンチン、ボリビア、チリ、ペルーと渡ってきて、出国の際には各国の通貨を全部使い切り、ほとんどゼロ状態。
ベテラン主婦には無駄は無いのです。
最後、会計さんの手元にある共通のお金はいくらかのペルーのソーレスとUS.$46.00。全額ソーレスに替えて、出国までのリマ観光にあてることにしました。
ダウンタウンまでのタクシー代、それに荷物の一時預かりの費用を差し引くと80/s(約2500円)。
これで夕食その他を賄うのです、ホントようやる!
あまり期待していなかったリマだけれど、さすがに首都だけあってアルマス広場にある重厚な建物は見ごたえがありました。
地図を頼りに4ブロックほど歩いたところに夕食処、目指すチャイナタウンはありました。
平日にも関わらずすごい混雑!中国人ってよっぽど群れるのが好きな人種なのですねー。
赤い門を抜けるとリマのチャイナタウン→
雑踏の中をくぐり抜けざっと街を一回り、適当なレストランを探します。
なるべくローカルの人達で賑わっているお店。ただ6時半と、時間が早いせいかどの店もそれほどの客の姿はありません。
こうなったらメニューと値段で判断。殆どの店が店頭にメニューを掲げていて、それを検証しながらいくつかの店を廻り、やっと皆のおめがねに叶う店を発見。
早い時間にも関わらず、結構人が入っているし…隣のテーブルでは美味しそうな具だくさんスープを食べている。
我々の財布が許す範囲での注文、計算機を持った会計さんにいちいちお伺いをたてて・・・それでも、お隣さんと同じスープと、野菜炒めとチャーハンを取ってまだゆとり有。
期待に違わず、良いお味。本場中国、庶民の味でした。
さて、満腹になったし、あとはタクシーで空港まで。8時までに着かないと、手荷物預かりで延長金が発生してしまう!残金は40/s余り。
ところが、片っ端から止めるタクシー、行き先を言うと首を横に振るのですー。なんだ、なんだぁ!
もしかしてこの時間労働時間が終わるので、近場で稼ごうというのかな。
空港までは40分ぐらいの距離、「しっかり働かんかいっ!」
何台かに乗車拒否をされた後、かなりオンボロの(日中ならちょっと引いた筈)白タクがやっと応じてくれました。
運転しているのは痩せぎすのおじさん。30/sで良いと言う。
しかしこのドライバー、ただ者ではなかったのですね。
全身から漂う暗めの雰囲気・・・。
混雑きわまりない町中、ニアミスも恐れずクラクションを鳴り響かせながら、右へ左へハンドルを切り、命知らずにぶっ飛ばす。
どう見ても楽しんでいるふうにはみえない、怒りをぶつけているのか、捨て身の運転・・・
途中、話しかけるなど考えも及ばない、ただ、助手席でシートベルトを握りしめ思わず発しそうになる声を押し殺し、ハラハラのし通し。空港までの距離がやたら長く感じられて、無事ターミナルの明かりが見えてきた時には思わず両手を合わせ、全身の力が抜けてしまいました。
「は~~・・・」
この幸運に感謝して、なけなしのお金を全部チップとして支払う事に、全員「異議なし!」。
全く、最後の最後にこんな試練が待っていたとは・・・
ま、お蔭で心配だった「手荷物時間の超過」は余裕でクリアーしましたけど。
カウンターで預けた荷物、受け取るのは日本に着いた時なのだと考えると、長かった旅の終焉を感じてちょっぴり感傷に浸ってしまいます
。後はベルトコンベアーに乗ったようなもので、手ぶらで提供されるサービスを受けていれば自動的に日本まで送られるはず。
空港では、今回旅先で出会った日本の若者とも再会したり、日本人の顔もポツリポツリと見られるようになってきました。
おやおや、日本語の場内アナウンスもあったりして。
中継地点のヒューストンでは手持ちのドルを使い切り、スタバでコーヒーを飲むと文明国に帰ってきたんだなーと、つくづく実感。
この旅を通して学習した「物の大切さ」をいつまで維持できるかなー。
次々と機内食が出てむだな食料が費やされ、無造作に捨てられていく。
現在、日付変更線を越えて4月27日(金曜日)、成田まであと3時間の海の上空にいます。
沖縄に帰ったらテニスで、でーじシェイプアップしなければ。
おしまい。
[長い間・・・]
気ままに綴ってきた「旅行記」を読んでいただき、ありがとうございました。
時に励まされながら、お陰様でこの旅行、何とか日本に帰り着くことができました。
今ちょっぴり達成感のようなものを味わっいる私デス。
今後もブログ「おきなわんライフ」をよろしくお願いしまーす。
Posted by よさこい at
11:40
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2012年10月11日
壮大なる南米紀行(アレキパの一日)
4月24日(火曜日)
今後の日本までの行程を考えると、(リマまで15時間のバス、リマから23:50発のフライト、ヒューストン→成田)今の体調だと自信が無い。若干喉の痛みは峠を越したものの…
よぉし、病院に行くぞ!幸い歩いて行ける距離にあるらしい。
この旅行で結束を強くした私たち3人、揃って病院へ。多分海外の病院への好奇心半分だと思うけど…
川向こうにあったそれは、結構大きな総合病院でした。
受付でツーリストだと告げると、別棟のイマージンシィに行けと言う。
そこには数人の患者がいたものの、すぐに名前が呼ばれ、イケメンの若いドクターとご対面。
興味津々のKさんは診察室までぴったりとくっついてきましたねー(笑)
ドクターだから英語はOKだと思いきや、たどたどしいことこの上ない。
身振り手振りで状況説明。さすがは医者で、すぐに察してくれはしましたけどね。
ただ飲んでいた抗生物質の種類を聞かれたときには…ついには理解することをあきらめて苦笑い。
お尻に注射、抗生剤と喉の腫れを取るピルとを処方してもらって、後は旅行保険のための診断書をもらわなければ。
ここはあれこれ悩むより、これこれ「簡単なスペイン語」の冊子にそのくだりが書いてある箇所を指さして。
すると「2階に行け」と言う。支持された部屋に入るとそこは診断書など証明書の用紙を購入する場所でした。
診断書の用紙を買って診察室に戻ると、Dr.昼食時間らしく口をもぐもぐしていました。
イケメンは食べる姿もカッコいい!
用紙にびっしりと書き込まれたのはスペイン語(?)それにしても保険会社は訳せるのかなー。
取り敢えず一件落着
お尻の注射のせいか、安心したせいか随分と気分が良くなり、帰り道の足取りはスキップとまではいかないけれど、来るときとは雲泥の差!途中の店では土産物をウォッチする余裕すら。
←アルマス広場は市民の憩いの場所
そうそ、今日はKさんの誕生日なのです!
お祝いを兼ねてのランチは奮発しましょ。
気分が良くなったところで、私の奥の手、嗅覚を生かして良さそうなレストランを探しました。
その中の一つ、入り口には全く人気がなかったけれど、入ってみると奥の方にはパテオがあり、客もそこそこ入っている。
ここでは有名な“川エビのスープ”ウェイターが顔色を変えて勧めた“肉の盛り合わせ”を注文。
量はたっぷりで味もなかなか。アイスクリームで〆たささやかなバースディランチでした。
今後は乗継でリマに数時間滞在するだけなので、銘々の持っているペルーのお金、ソーレスを使い切らなければ。
バスの出発時間は夜の8時。
チケットは買ってあるし、何より安心なのはデラックスバス(カマバス)であること。
昨夜から大騒ぎしていたFさんの「チケット紛失事件」も、入場時にKさんの財布の中から出てきて一件落着。どういう訳かパスポートも入れ替わっていたらしい。人の事は言えないけどねー
今回の「三婆の旅」、こんな些細なことが随分とあった珍道中。
レストランで、ホステルで、ショッピングでと語るに枚挙のないあれやこれや。
それでも何とか切り抜け、笑いながら最終コースに漕ぎ着けたのはそれなりに大したものだと思いますね。
ま、楽天的な3人だから出来たこととも言える。
今バスは一路リマに向かって走っています。
次回に続く。
[秋深し]
ここのところの台風が過ぎて、急激に秋模様。
日中は暑くて強力紫外線に油断できないけれど、朝晩は窓を全部締めてまわります。
順応性に欠ける夫は、いまだにタンクトップを着てくしゃみをしている。
え、台風21号?週末に?
無視、無視・・・でも昨日まで秋晴れだった天気がぁ・・・
今後の日本までの行程を考えると、(リマまで15時間のバス、リマから23:50発のフライト、ヒューストン→成田)今の体調だと自信が無い。若干喉の痛みは峠を越したものの…
よぉし、病院に行くぞ!幸い歩いて行ける距離にあるらしい。
この旅行で結束を強くした私たち3人、揃って病院へ。多分海外の病院への好奇心半分だと思うけど…
川向こうにあったそれは、結構大きな総合病院でした。
受付でツーリストだと告げると、別棟のイマージンシィに行けと言う。
そこには数人の患者がいたものの、すぐに名前が呼ばれ、イケメンの若いドクターとご対面。
興味津々のKさんは診察室までぴったりとくっついてきましたねー(笑)
ドクターだから英語はOKだと思いきや、たどたどしいことこの上ない。
身振り手振りで状況説明。さすがは医者で、すぐに察してくれはしましたけどね。
ただ飲んでいた抗生物質の種類を聞かれたときには…ついには理解することをあきらめて苦笑い。
お尻に注射、抗生剤と喉の腫れを取るピルとを処方してもらって、後は旅行保険のための診断書をもらわなければ。
ここはあれこれ悩むより、これこれ「簡単なスペイン語」の冊子にそのくだりが書いてある箇所を指さして。
すると「2階に行け」と言う。支持された部屋に入るとそこは診断書など証明書の用紙を購入する場所でした。
診断書の用紙を買って診察室に戻ると、Dr.昼食時間らしく口をもぐもぐしていました。
イケメンは食べる姿もカッコいい!
用紙にびっしりと書き込まれたのはスペイン語(?)それにしても保険会社は訳せるのかなー。
取り敢えず一件落着
お尻の注射のせいか、安心したせいか随分と気分が良くなり、帰り道の足取りはスキップとまではいかないけれど、来るときとは雲泥の差!途中の店では土産物をウォッチする余裕すら。
←アルマス広場は市民の憩いの場所
そうそ、今日はKさんの誕生日なのです!
お祝いを兼ねてのランチは奮発しましょ。
気分が良くなったところで、私の奥の手、嗅覚を生かして良さそうなレストランを探しました。
その中の一つ、入り口には全く人気がなかったけれど、入ってみると奥の方にはパテオがあり、客もそこそこ入っている。
ここでは有名な“川エビのスープ”ウェイターが顔色を変えて勧めた“肉の盛り合わせ”を注文。
量はたっぷりで味もなかなか。アイスクリームで〆たささやかなバースディランチでした。
お腹も気分も満足、まんぞく~→
今後は乗継でリマに数時間滞在するだけなので、銘々の持っているペルーのお金、ソーレスを使い切らなければ。
バスの出発時間は夜の8時。
チケットは買ってあるし、何より安心なのはデラックスバス(カマバス)であること。
昨夜から大騒ぎしていたFさんの「チケット紛失事件」も、入場時にKさんの財布の中から出てきて一件落着。どういう訳かパスポートも入れ替わっていたらしい。人の事は言えないけどねー
今回の「三婆の旅」、こんな些細なことが随分とあった珍道中。
レストランで、ホステルで、ショッピングでと語るに枚挙のないあれやこれや。
それでも何とか切り抜け、笑いながら最終コースに漕ぎ着けたのはそれなりに大したものだと思いますね。
ま、楽天的な3人だから出来たこととも言える。
今バスは一路リマに向かって走っています。
次回に続く。
[秋深し]
ここのところの台風が過ぎて、急激に秋模様。
日中は暑くて強力紫外線に油断できないけれど、朝晩は窓を全部締めてまわります。
順応性に欠ける夫は、いまだにタンクトップを着てくしゃみをしている。
え、台風21号?週末に?
無視、無視・・・でも昨日まで秋晴れだった天気がぁ・・・
Posted by よさこい at
12:33
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2012年10月07日
壮大なる南米紀行(アレキパ・コルカキャニオンツアー)
4月22日(日曜日)―23日
いよいよこの旅最後のアクティビティ、10名のグループで1泊2日のコンドルの谷のツアー。
キャニオンを勇壮に舞うコンドルを頭に描いて「コンドルは飛んでいく」のノリで出発です。
今回のガイドはスペイン訛りの英語を話す20代のインディオの青年。
優しいけど、キャリア足らずで優柔不断を匂わすような人の良い人物、と踏みました。オバサン!
標高4300mの場所でも!・・↓
濁流のコルカ川を遡り、初日はチバイという温泉のあるこじんまりとした村で宿泊。
一旦ホテルに落ち着いて、その後希望者は温泉、その後村のレストランでダンスのショーを見ながらディナーというスケジュール。
10名それぞれ宿泊場所が違うので、各ホテルを回りながら乗客を落としていきます。
我々の宿は結構大き造り、部屋も大きい。
実は申し込みの際値段が同じということで、3名それぞれ別の部屋を頼み、個室が用意されていたのですが・・・大きな部屋に一人っていうのはかえって落ち着かない。
結局、トリプルの部屋で皆仲良く寝ることにしましたぁ。
温泉に出発という4:00頃から雨が。
今朝はやはり喉の調子が悪く、楽しみにしていた温泉は痛恨のパス。
結局、この日のために温めていた水着など、手付かずで持ち帰ることになります。はぁ~~きっと悔し涙の雨だ。
温泉場には休憩施設もあるということなので、入場料を払って施設に入り取り敢えず温泉気分だけ味わうことにしました。
そこは村から数十分の山の中にあり、温泉プールが5つある、結構大きな施設。
住民の憩いの場所にもなっているのか、思ったより沢山の人で賑わっていました。
水着を着てはしゃいでる元気な二人を横目に、売店の一角、温かい飲物で喉を潤しながら日記を前に、溜まった行程を書き込んで時間を潰しました。
ディナーショーでは、他のグループも何組か一緒で、民族衣装を着けた地元の青年達のダンスや楽器の演奏を楽しむという趣向。
ノリの良いラテン系の人達はダンスに参加したり、結構盛り上がっていましたねー。
二日目、早朝6時出発で、「そっか、コンドルさんは早起きなんだー」と勝手に思い込んでいたら、途中、土産物が並ぶ村々に立ち寄ってののんびり道中、財布を開けさせようという仕組み。その為の早朝出発だったのかぁ。これじゃぁ日本の〇〇ツアーよりひどいじゃないの!
コンドルしか頭に無い私たち、「全く、いい加減にして欲しい。」とブツブツ言いながらも根っからの好奇心は押さえきれず、各村々の出店は一応チェックしましたけどね。まぁ、アルパカのマフラーなどはお買い得ではありました・・・数点ゲット。
早朝にも関わらず、踊りを踊って迎える村民→
結局、1時間程の行程なのに、コルカキャニオンに着いたのは9時過ぎ。
コンドルは朝の上昇気流に乗って飛ぶと、どこかの本で読んだのに・・・
Kさんの怒ること!これで言葉が通じたのなら、ガイドのおにいさん、ただでは済まなかったはず。
目的のコンドルはと言うと、まだ若い一羽(50年生きるという)が私達の頭上に現われ、その悠然とした舞を見せてくれました。
思わずあの有名なメロディが思い浮かびましたが、ここで歌ってコンドルがズッコケテモいけない・・・。
あとは遠くの方に一羽、谷底の方に数羽が目視できただけ。
圧倒的に人の数の方が勝っていましたね。
それにしてももう少し早ければ・・・
←右下にちょこっと写っててます!
それでも1000メートル以上も切れ込んでいるキャニオン、周りを取り囲むアンデスの山々は雄大で、それ自体見る価値が十分にある素晴らしい場所でした。
喉の痛みをこらえながら歩くのでなければ、十分に楽しめたはず・・・つい、早くホテルに着いて休む事を考えてしまう・・・
途中のレストランでリッチなバフェの昼食を済ませ、それからはアレキパの町に直行。
再び同じ洞窟ホステルに宿を取り、その日の夕食は地元の人に聞いたローカル食堂を検証。
観光客相手のレストランの立ち並ぶ通りから数ブロック先にあり、客は殆どが地元民。
焼きそば風、チャーハン風の二品で私たちには十分の量、値段は観光スポットの約十分の一!
満足の夕飯ではありました。
最後のツアーも無事終わり、あとは帰路につくことになります。
アレキパからリマまで飛行機ではひとっとび、バスでは15時間余り。
私の体調を心配して「飛行機にしよう!」と言ってくれた二人の発案で、LAN航空の事務所に立ち寄り空席確認をしてみたものの、その料金の高さは許容範囲を超えていた、約4万円!!
明朝の状態で、病院に行くか判断しようと決めて早々に床に就く。幸い熱は出ていないし・・・
次回に続く
←アレキパの街を散策
[近況]
いやぁ、この数週間台風の様な慌ただしさでした。台風も来たけど・・
高知の実家から父の病状の悪化との連絡があり、取るのも取り敢えず帰郷、98歳の父を看取ったのが9月29日。
私が病院に到着して4時間半後のことでした。待っていてくれた父に感謝。
お葬式と初七日、諸々の祭事を済ませ沖縄に帰って目にした17号の爪痕。
一人で後片付けを頑張っていた夫は(海に遊びに行けなかったのがストレスだったのか・・・)少々バテ気味。
ショックだったのは、2年ほど前に作って玄関先に設置してあった、お気に入りのシーサーの置物(10キロぐらいある)が倒れ、打ち所が悪かったらしく分解状態。漆喰を買ってこなきゃ・・・はぁ~~いまだ手つかず。
1週間の順延で、昨日開催された湧川の豊年祭、私たちの「フラ」出場は結局、私を始め踊り子3人が欠場ということで今回は涙を呑むことになりましたぁ。6月から我が家で練習してきたのに・・・ま、来年にご期待!
それと、このブログの更新が遅れた理由の第一は、コンピュータがダウンしたことです。
8年間使っていたDELのPCが突然プッツン。中を開けて掃除したり、いろいろやってみたけれど・・・
そして、昨日買ってきたおニュウの一体型パソコン。
21.5インチの大画面、さくさくと動く、素晴らしい!!
いよいよこの旅最後のアクティビティ、10名のグループで1泊2日のコンドルの谷のツアー。
キャニオンを勇壮に舞うコンドルを頭に描いて「コンドルは飛んでいく」のノリで出発です。
今回のガイドはスペイン訛りの英語を話す20代のインディオの青年。
優しいけど、キャリア足らずで優柔不断を匂わすような人の良い人物、と踏みました。オバサン!
途中、アルパカの群れる湿地帯。野生じゃないよね。→
標高4300mの場所でも!・・↓
濁流のコルカ川を遡り、初日はチバイという温泉のあるこじんまりとした村で宿泊。
一旦ホテルに落ち着いて、その後希望者は温泉、その後村のレストランでダンスのショーを見ながらディナーというスケジュール。
10名それぞれ宿泊場所が違うので、各ホテルを回りながら乗客を落としていきます。
我々の宿は結構大き造り、部屋も大きい。
実は申し込みの際値段が同じということで、3名それぞれ別の部屋を頼み、個室が用意されていたのですが・・・大きな部屋に一人っていうのはかえって落ち着かない。
結局、トリプルの部屋で皆仲良く寝ることにしましたぁ。
温泉に出発という4:00頃から雨が。
今朝はやはり喉の調子が悪く、楽しみにしていた温泉は痛恨のパス。
結局、この日のために温めていた水着など、手付かずで持ち帰ることになります。はぁ~~きっと悔し涙の雨だ。
温泉場には休憩施設もあるということなので、入場料を払って施設に入り取り敢えず温泉気分だけ味わうことにしました。
そこは村から数十分の山の中にあり、温泉プールが5つある、結構大きな施設。
住民の憩いの場所にもなっているのか、思ったより沢山の人で賑わっていました。
水着を着てはしゃいでる元気な二人を横目に、売店の一角、温かい飲物で喉を潤しながら日記を前に、溜まった行程を書き込んで時間を潰しました。
ディナーショーでは、他のグループも何組か一緒で、民族衣装を着けた地元の青年達のダンスや楽器の演奏を楽しむという趣向。
ノリの良いラテン系の人達はダンスに参加したり、結構盛り上がっていましたねー。
二日目、早朝6時出発で、「そっか、コンドルさんは早起きなんだー」と勝手に思い込んでいたら、途中、土産物が並ぶ村々に立ち寄ってののんびり道中、財布を開けさせようという仕組み。その為の早朝出発だったのかぁ。これじゃぁ日本の〇〇ツアーよりひどいじゃないの!
コンドルしか頭に無い私たち、「全く、いい加減にして欲しい。」とブツブツ言いながらも根っからの好奇心は押さえきれず、各村々の出店は一応チェックしましたけどね。まぁ、アルパカのマフラーなどはお買い得ではありました・・・数点ゲット。
早朝にも関わらず、踊りを踊って迎える村民→
結局、1時間程の行程なのに、コルカキャニオンに着いたのは9時過ぎ。
コンドルは朝の上昇気流に乗って飛ぶと、どこかの本で読んだのに・・・
Kさんの怒ること!これで言葉が通じたのなら、ガイドのおにいさん、ただでは済まなかったはず。
目的のコンドルはと言うと、まだ若い一羽(50年生きるという)が私達の頭上に現われ、その悠然とした舞を見せてくれました。
思わずあの有名なメロディが思い浮かびましたが、ここで歌ってコンドルがズッコケテモいけない・・・。
あとは遠くの方に一羽、谷底の方に数羽が目視できただけ。
圧倒的に人の数の方が勝っていましたね。
それにしてももう少し早ければ・・・
←右下にちょこっと写っててます!
それでも1000メートル以上も切れ込んでいるキャニオン、周りを取り囲むアンデスの山々は雄大で、それ自体見る価値が十分にある素晴らしい場所でした。
喉の痛みをこらえながら歩くのでなければ、十分に楽しめたはず・・・つい、早くホテルに着いて休む事を考えてしまう・・・
途中のレストランでリッチなバフェの昼食を済ませ、それからはアレキパの町に直行。
再び同じ洞窟ホステルに宿を取り、その日の夕食は地元の人に聞いたローカル食堂を検証。
観光客相手のレストランの立ち並ぶ通りから数ブロック先にあり、客は殆どが地元民。
焼きそば風、チャーハン風の二品で私たちには十分の量、値段は観光スポットの約十分の一!
満足の夕飯ではありました。
最後のツアーも無事終わり、あとは帰路につくことになります。
アレキパからリマまで飛行機ではひとっとび、バスでは15時間余り。
私の体調を心配して「飛行機にしよう!」と言ってくれた二人の発案で、LAN航空の事務所に立ち寄り空席確認をしてみたものの、その料金の高さは許容範囲を超えていた、約4万円!!
明朝の状態で、病院に行くか判断しようと決めて早々に床に就く。幸い熱は出ていないし・・・
次回に続く
←アレキパの街を散策
[近況]
いやぁ、この数週間台風の様な慌ただしさでした。台風も来たけど・・
高知の実家から父の病状の悪化との連絡があり、取るのも取り敢えず帰郷、98歳の父を看取ったのが9月29日。
私が病院に到着して4時間半後のことでした。待っていてくれた父に感謝。
お葬式と初七日、諸々の祭事を済ませ沖縄に帰って目にした17号の爪痕。
一人で後片付けを頑張っていた夫は(海に遊びに行けなかったのがストレスだったのか・・・)少々バテ気味。
ショックだったのは、2年ほど前に作って玄関先に設置してあった、お気に入りのシーサーの置物(10キロぐらいある)が倒れ、打ち所が悪かったらしく分解状態。漆喰を買ってこなきゃ・・・はぁ~~いまだ手つかず。
1週間の順延で、昨日開催された湧川の豊年祭、私たちの「フラ」出場は結局、私を始め踊り子3人が欠場ということで今回は涙を呑むことになりましたぁ。6月から我が家で練習してきたのに・・・ま、来年にご期待!
それと、このブログの更新が遅れた理由の第一は、コンピュータがダウンしたことです。
8年間使っていたDELのPCが突然プッツン。中を開けて掃除したり、いろいろやってみたけれど・・・
そして、昨日買ってきたおニュウの一体型パソコン。
21.5インチの大画面、さくさくと動く、素晴らしい!!
Posted by よさこい at
13:31
│Comments(4)
2012年09月18日
壮大なる南米紀行(サンペドロアタカマーアレキパ)
4月20日(金曜日)―21日
夜行バスは夜8:00出発。
バス停は町の外れとは言え、10分も歩けば着く距離だし、夕方まではタップリ時間があるという訳。様々なツアーが目の前にぶら下がっているのに、今の私には到底無理だということで全て却下。
結局、私だけホステルの部屋に缶詰で一日休息をとることになりましたぁ。
泊まった部屋とは別棟にある値段も三分の一のコンパクトなシングル部屋、半日寂しくベッドに横になっていました。
ええ、皆に迷惑をかけるわけにはいかない。
元気な二人は町の散策に出かけ、お見舞いにと果物やクッキー、パイ等など色んな食べ物を買って来てくれました。
こうなっても、不思議と食欲だけは普通にあるのですねー私。
お陰で夜になってバス停に行く頃には、声もなんとか出るようになったし、これで一気に回復するといいのだけれど・・。
約10時間夜行バスに乗り、早朝にアリカという国境の町に着き、イミグレーションを経てペルーのタグナでアレキパ行きのバスに乗るというトータル18時間強の強行軍。
このセットのチケットでは、途中アリカからはバス会社の手配したハイヤーで行くというのですが、ここでダメ押しのハプニング
ハイヤーではドイツ人の青年と一緒になり、彼はリマまで24時間かけて行くのだと言う。
「旅は道連れ」と勝手な思い、私達オバサン は彼にぴったりくっついていくことに決めました。
←チリ・ペルーの国境
ところが、国境のアリカでチリ出国を済ませ外に出たところで青年は まっすぐローカルのパス(タグナ行き)に向かって歩き出すのです。
私たちはアレキパまでのチケットを買っているはず、「途中でローカルのパスは無いでしょ」と思いはしたものの、私達のナビゲータは迷うことなくバスに乗り込んでしまいました。
仕方なく青年に続いきチケット代金を払ってバスに乗り込んだものの、どう考えても腑に落ちないので、青年に「ハイヤーの運転手は何と言っていたの?ローカルバスに乗ったのは間違いじゃないかなー」と私の疑問点を正すと、首をすくめ、「だけど運転手はバスに乗るように言ったヨ」との事・・・納得いかないままバスはひた走り10分ほど走ったところでバスが急 停止。
なんと私たちが乗っていたハイヤーが後を追いかけてきてバスを停止させたのでした。
「やっぱりねー・・・」
運転手もで~じ慌てたはず、乗客が消えてしまったのだから。
ドイツ青年には待つように言ったはずだけど、今考えると彼、スペイン語が良く理解できなかったらしい。
荷物をバスからハイヤーに積み替えたり、お騒がせの私たちに乗客は笑顔で手を振ってくれましたねー
タグナではあわやというところでセーフ、無事アレキパ行きのバスに乗車できましたぁ。
やーれやれ・・・
人任せはこれっきりにしよう、と固く心に誓った出来事でした。
予約されていた席は2階の最前列、Fさん念願の席だったらしく大喜び。
しかし360度のパノラマを楽しめたのは・・・朝のうちの数時間だけ。
何で一番良いと思われる席が最後まで空いていたのか、それには訳があったのですぅ。
日 が高くなるにつれ、その席はもろ直射日光を受けるようになり、暑いのなんのって。
折角のパノラマもカーテンを引かざるを得ない。
乗務員にボリュームを下げてと頼んだけれど、音源は一つなので切れないという。
←まだ、まだ・・・
大音響と暑さとの戦い、約6時間。
砂漠の中を北に向かってひた走り、アレキパには現地時間で午後の3時に無事(?)到着しました。
折角快方に向かっていた私の喉も、あまりの過酷さ故再び音を上げて・・しまったようです。
この地が私達の旅の最終の訪問都市となる訳です。
アレキパはどのガイドブックにも「白い街」というキャッチフレーズが載っていて、「清潔感溢れた眩しい街」を期待していました、はい。
だけど、町に入る所からエライ渋滞で埃っぽい。
初印象は、「車の混雑と埃」確かに埃で白っぽい?期待が大きすぎたのでしょうか・・・
まず、バスターミナルで三日後のリマまでの帰りのチケットを購入。
ペルー第二の都市と言われるだけあって、各地に繋がるバスのまさに大ターミナルという感じ。
最後のバス旅になるので、これまでの経験から、断じてデラックスにこだわり、リクライニングの角度まで確認。
←何とか寺院
ひとまずホステル(サンペドロアタカマでネット予約済)に向かいます。
石造りの宿はデラックスではないにしろ、ロフト付きで洞窟の中に居る様な印象で、何となくいい感じ
←高級レストラン街
此処には今夜と明後日の宿泊、明日はツアー泊という訳。
一旦落ち着いたところで、立ち並ぶツアー会社をいくつか周り、一番リーゾナブルな提案をしてくれた感じの良い1社に決定。
翌朝8:30のお迎えと決まり、この旅最後のツアーも予約完了。後はのーんびり過ごしましょ。
アレキパは海岸近くの街で、食べ物が美味しいと聞いていたので、通りに面した静かなレストランに入り(後から考えるに、あまりに静か過ぎた・・・)、アルパカのワイン煮、他の二人はチキンの串約を注文しました。
期待を込めて待つこと30分、その割に出てきたのは、ダイエット食かと思われる量といい、味もそこそこのシンプル料理。
ワインは美味しかったようですが・・・トイレに行ったKさんがしばらく帰って来なくて、「彼女のことだから、どこか面白い所を見つけて取材でもしてるのかねー」と、特に心配もせずに待つこと30分、トイレのドアが壊れていてずっと閉じ込められていたらしい。
ま、このハプニングといい期待したアレキパの町の一日目は、ググッとポイントを下げた幕開けではありました。
実は私、美味しいレストランを見つける臭覚には自信があり、店全体の「外観」や、「看板」、「メニュー」等が判断材料。
まず90%以上の確率でハズレ無しの実績を誇っておりました。
ただし、今回の様に体調が悪いとその感覚も鈍るものだとつくづく・・・
次回に続く。
[ねずみ参上]
数週間前、夫が夜中に台所で「ねずみだぁ~~っ」と騒いだことがありました。
そして昨日、冷蔵庫の電源がダウン。
「故障だよぉ」と夫を呼び、冷蔵庫を移動してみたところ、な、何と、コードがかじられてショートしているではありませんか。危うく火災にもなりかねない状態!
どおりで、カウンターの上の籠に入れてあったミニマンゴーに、くり抜いたような穴が空いていたり、食べ残した食料が散乱したり・・色々あったわ?
「猫を飼おうか」という夫の意見を無視して、ドラッグストアに行って「粘着式ねずみ取り」というやつを買ってきました。
昨日、カウンターの上と、天井裏にひとつ仕掛けていたら、カウンターの上の物二匹の小さなねずみがくっついてもがいていました。あまりにリアルな画像はパス。
台風続きでねずみも家の中に避難したのでしょうかぁ。
この度の台風16号は、あちらこちらでかなりの爪痕を残したようです。
なんと言っても一番の被害は、連休に予定されていた数々のイベントでしょう。
我が家はバナナの木が20本ばかり倒れたことと、1日の停電被害のみで終わりましたが。
今年の台風は全部が週末に来る「イベント狙い」。
根性の悪いンでないのぉ。
夜行バスは夜8:00出発。
バス停は町の外れとは言え、10分も歩けば着く距離だし、夕方まではタップリ時間があるという訳。様々なツアーが目の前にぶら下がっているのに、今の私には到底無理だということで全て却下。
結局、私だけホステルの部屋に缶詰で一日休息をとることになりましたぁ。
泊まった部屋とは別棟にある値段も三分の一のコンパクトなシングル部屋、半日寂しくベッドに横になっていました。
ええ、皆に迷惑をかけるわけにはいかない。
元気な二人は町の散策に出かけ、お見舞いにと果物やクッキー、パイ等など色んな食べ物を買って来てくれました。
こうなっても、不思議と食欲だけは普通にあるのですねー私。
お陰で夜になってバス停に行く頃には、声もなんとか出るようになったし、これで一気に回復するといいのだけれど・・。
約10時間夜行バスに乗り、早朝にアリカという国境の町に着き、イミグレーションを経てペルーのタグナでアレキパ行きのバスに乗るというトータル18時間強の強行軍。
このセットのチケットでは、途中アリカからはバス会社の手配したハイヤーで行くというのですが、ここでダメ押しのハプニング
ハイヤーではドイツ人の青年と一緒になり、彼はリマまで24時間かけて行くのだと言う。
「旅は道連れ」と勝手な思い、私達オバサン は彼にぴったりくっついていくことに決めました。
←チリ・ペルーの国境
ところが、国境のアリカでチリ出国を済ませ外に出たところで青年は まっすぐローカルのパス(タグナ行き)に向かって歩き出すのです。
私たちはアレキパまでのチケットを買っているはず、「途中でローカルのパスは無いでしょ」と思いはしたものの、私達のナビゲータは迷うことなくバスに乗り込んでしまいました。
仕方なく青年に続いきチケット代金を払ってバスに乗り込んだものの、どう考えても腑に落ちないので、青年に「ハイヤーの運転手は何と言っていたの?ローカルバスに乗ったのは間違いじゃないかなー」と私の疑問点を正すと、首をすくめ、「だけど運転手はバスに乗るように言ったヨ」との事・・・納得いかないままバスはひた走り10分ほど走ったところでバスが急 停止。
なんと私たちが乗っていたハイヤーが後を追いかけてきてバスを停止させたのでした。
「やっぱりねー・・・」
運転手もで~じ慌てたはず、乗客が消えてしまったのだから。
ドイツ青年には待つように言ったはずだけど、今考えると彼、スペイン語が良く理解できなかったらしい。
荷物をバスからハイヤーに積み替えたり、お騒がせの私たちに乗客は笑顔で手を振ってくれましたねー
タグナではあわやというところでセーフ、無事アレキパ行きのバスに乗車できましたぁ。
やーれやれ・・・
人任せはこれっきりにしよう、と固く心に誓った出来事でした。
予約されていた席は2階の最前列、Fさん念願の席だったらしく大喜び。
しかし360度のパノラマを楽しめたのは・・・朝のうちの数時間だけ。
何で一番良いと思われる席が最後まで空いていたのか、それには訳があったのですぅ。
砂漠の中をひた走る→
日 が高くなるにつれ、その席はもろ直射日光を受けるようになり、暑いのなんのって。
折角のパノラマもカーテンを引かざるを得ない。
砂漠にもトンネルはあるのです→
おまけにサービスのつもりか、足元にあるモニタにはひっきりなしに映画が上映され、丁度頭の上 にあるスピーカーからはバスの後部座席にも聞こえる程の大音響。乗務員にボリュームを下げてと頼んだけれど、音源は一つなので切れないという。
←まだ、まだ・・・
大音響と暑さとの戦い、約6時間。
砂漠の中を北に向かってひた走り、アレキパには現地時間で午後の3時に無事(?)到着しました。
折角快方に向かっていた私の喉も、あまりの過酷さ故再び音を上げて・・しまったようです。
この地が私達の旅の最終の訪問都市となる訳です。
アレキパはどのガイドブックにも「白い街」というキャッチフレーズが載っていて、「清潔感溢れた眩しい街」を期待していました、はい。
だけど、町に入る所からエライ渋滞で埃っぽい。
初印象は、「車の混雑と埃」確かに埃で白っぽい?期待が大きすぎたのでしょうか・・・
まず、バスターミナルで三日後のリマまでの帰りのチケットを購入。
ペルー第二の都市と言われるだけあって、各地に繋がるバスのまさに大ターミナルという感じ。
最後のバス旅になるので、これまでの経験から、断じてデラックスにこだわり、リクライニングの角度まで確認。
←何とか寺院
ひとまずホステル(サンペドロアタカマでネット予約済)に向かいます。
石造りの宿はデラックスではないにしろ、ロフト付きで洞窟の中に居る様な印象で、何となくいい感じ
←高級レストラン街
此処には今夜と明後日の宿泊、明日はツアー泊という訳。
一旦落ち着いたところで、立ち並ぶツアー会社をいくつか周り、一番リーゾナブルな提案をしてくれた感じの良い1社に決定。
翌朝8:30のお迎えと決まり、この旅最後のツアーも予約完了。後はのーんびり過ごしましょ。
アレキパは海岸近くの街で、食べ物が美味しいと聞いていたので、通りに面した静かなレストランに入り(後から考えるに、あまりに静か過ぎた・・・)、アルパカのワイン煮、他の二人はチキンの串約を注文しました。
期待を込めて待つこと30分、その割に出てきたのは、ダイエット食かと思われる量といい、味もそこそこのシンプル料理。
ワインは美味しかったようですが・・・トイレに行ったKさんがしばらく帰って来なくて、「彼女のことだから、どこか面白い所を見つけて取材でもしてるのかねー」と、特に心配もせずに待つこと30分、トイレのドアが壊れていてずっと閉じ込められていたらしい。
ま、このハプニングといい期待したアレキパの町の一日目は、ググッとポイントを下げた幕開けではありました。
実は私、美味しいレストランを見つける臭覚には自信があり、店全体の「外観」や、「看板」、「メニュー」等が判断材料。
まず90%以上の確率でハズレ無しの実績を誇っておりました。
ただし、今回の様に体調が悪いとその感覚も鈍るものだとつくづく・・・
次回に続く。
[ねずみ参上]
数週間前、夫が夜中に台所で「ねずみだぁ~~っ」と騒いだことがありました。
そして昨日、冷蔵庫の電源がダウン。
「故障だよぉ」と夫を呼び、冷蔵庫を移動してみたところ、な、何と、コードがかじられてショートしているではありませんか。危うく火災にもなりかねない状態!
かじられたコード→
どおりで、カウンターの上の籠に入れてあったミニマンゴーに、くり抜いたような穴が空いていたり、食べ残した食料が散乱したり・・色々あったわ?
昨日、カウンターの上と、天井裏にひとつ仕掛けていたら、カウンターの上の物二匹の小さなねずみがくっついてもがいていました。あまりにリアルな画像はパス。
台風続きでねずみも家の中に避難したのでしょうかぁ。
この度の台風16号は、あちらこちらでかなりの爪痕を残したようです。
なんと言っても一番の被害は、連休に予定されていた数々のイベントでしょう。
我が家はバナナの木が20本ばかり倒れたことと、1日の停電被害のみで終わりましたが。
今年の台風は全部が週末に来る「イベント狙い」。
根性の悪いンでないのぉ。
Posted by よさこい at
20:47
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2012年09月10日
壮大なる南米紀行(サンペドロ・デ・アタカマ)
4月19日(木曜日)―20日
サンペドロアタカマという小さなオアシスの町。
此処を起点に様々なツアーが出ている、観光基地の町というところ。
バスを降りるとすぐに客引きおじさんが寄ってきて「今夜の宿は決まってる?」。
その中でなるべく外見の良さげなオジサンを選び、(この選択は百戦錬磨のオバサンだから出来ること。若いお嬢さんはやめときましょうねぇ)自転車を押す後に付いて行きました。
案内されたのは、パティオのある小奇麗な宿。一応部屋を見せてもらいそのままそこに泊まることにしました。
トリプルの部屋は庭を取り囲むように建てられており、木陰には木造のテープル、椅子やハンモックが置かれ、ゆったりとくつろげるスペースがいかにもリゾートタイプの快適な造りになっています。 こりゃあ1泊はないっしょ。
よぉし、今度来るときは!塩湖の周り、温泉に浸かったりとこの世の楽園、ピュアな世界で魂の洗濯を、心に積もった垢落としをしたら、生まれ変わることができるかなー、ついでに年も若返るといいんだけどねー・・・
さて、いい気分のまま、めいめいの持っているハングオーバーの食べ物を木陰のテーブルの上に並べ、取り敢えずランチタイム。
その後夕方のツアー探しに出かけることにしました。
町は全て歩いて事の足りる広さ、格子状の通りにはそれぞれ名前が付いているので、まず間違う心配はない。
通り沿いにはツーリストが軒並み、様々なツアーの玄関口になっています。
その中でも「月の谷の夕日ツアー」は目玉で、どこでも扱ってはいるものの、値段、内容に若干の差があるようです。
とは言え、当日でもあり出発時間は数時間後に迫っていて、今回は選択の余地無し、3人まとめての「空き」が問題なのでしたぁ。
数箇所廻ったところでやっと「空き」を見つけ、身振り手振りで予約成立。
午後4時スタート。
私の喉の具合は悪化の一路を辿り、唾を飲み込む度に激痛が走る。体も何となくダルい。
体は部屋で休めと言っているようだけど、せっかく此処まで来たのだから・・・夕日が沈むまで頑張るかー。
Kさんに抗生剤をもらい、発熱はかろうじて抑えられている感じ・・・。
これから街を散策するという元気な二人と別れ、私はホテルに直帰で夕方に備え、ベッドに横になりました。
英語ガイド付き“月の谷ツアー” 8名乗りのバンは観光客で満席状態。
月の谷は予想を上回り、別世界の感動おぉ!
太古の時代、氷河だったという峡谷、そこを抜けると遥か彼方まで続く月面状態の山々。
目前に迫る山は巨大な砂山で、最初アリ粒の様に見えた人影は若者たちがサンドスキーに興じているところでした。
このサンドスキーは言わば砂を雪に見立たスノーボード、「若者限定スポーツ」という感じです。
それにしても砂漠だと一年中やれるという訳ねー。
実家に帰った際、オーストラリアでサンドスキーを体験したという姪に「かっこ良かったよー!」と言ったところ、「あれねー、見た目ぇほどカッコえいもんじゃないでぇ(土佐弁)」とか。
目や鼻、耳など穴という穴に砂が入り、転ぶ度、悲惨な苦しみに悶えなければならないという・・・。
なるほど、止めておいて良かったぁ。
奇岩の迫ってくる場所、プラネットワールドの気分を味わって、歩くこと約1時間。
ガイドのおじさんが時計を気にし始め、慌てた様子でやたらと急かす。
そっか、このツアーの目的はサンセット。間に合わなければ料金返金の憂き目に会うのでしょうか。
元来た道をスピードを上げて走るはしる。
結果、数分前にビューポイントに滑り込みセーフで夕日ツアーの面目を保ちましたねー。
太陽が沈むにつれ、遠くの山々がピンクやブルーに刻一刻と変わっていく様はほとんど幻想的でさえありました。
〆の夕飯はガイドお勧めのレストランにて。
喉に負担のない具だくさんスープを注文、他のビーフ、サラダもなかなかで、今回の旅行で「5指に入る食事内容」だと、皆の見解が一致しました。
長かった一日が終わり、ベッドに入る事がこれほど嬉しく感じたのは今回の旅行で初めての経験ですぅ。
予定では明日、夜行バスに乗ってペルーのアレキパに向かうはずが、その行程に問題発生!
アレキパまで直行便が当然あるものだと思っていたら、インターナショナルバスはこの街からは出ていないとの事。
で、ルートとしてはハイヤーでチリの国境の町アリカまで行ってイミグレーションを通過したあと、ペルーのタグナというバスターミナルのある町に行き、アレキパ行きのバスに乗る。
これが最短コースらしい。予定していた時間より約半日のロス。
でもま、3泊4日を予定していたウユニツアーが2泊3日で一日浮いたし、差し引き半日、このぐらいの誤差は想定済みかぁ。
ただ、私の体調は想定外なのですー。
次回に続く
[暑い、熱ーい一日]
昨日、9・9は「オスプレイ反対」の県民大会の日。
今帰仁村の用意したバスに乗って浦添の会場に行ってきました。
レッドカードの赤のTシャツ、帽子には赤のハイビスカスでちょっぴりオシャレして。
10万人を越す人出、それなりにインパクトのある大会ではありましたが、静まり返った基地を見ると、このエネルギーが何となく虚しく感じられるのです。
もっと直接的にやれることはないのでしょうか。
例えば、基地の周りを取り囲みシュプレヒコール、出入りする車にブーイングを浴びせる。
軍用機の騒音に対しては巨大拡声器で米軍基地に向けて「カチャーシ」の音楽を一日中流す。
米軍の兵隊には全てにおいて販売価格を釣り上げる。
潤沢な“思いやり予算”で「住みやすい沖縄」。
せめて嫌がらせをして「住みにくいなー」と思わせなくちゃ。
以上、沖縄おばぁの意見よねー。
サンペドロアタカマという小さなオアシスの町。
此処を起点に様々なツアーが出ている、観光基地の町というところ。
バスを降りるとすぐに客引きおじさんが寄ってきて「今夜の宿は決まってる?」。
その中でなるべく外見の良さげなオジサンを選び、(この選択は百戦錬磨のオバサンだから出来ること。若いお嬢さんはやめときましょうねぇ)自転車を押す後に付いて行きました。
案内されたのは、パティオのある小奇麗な宿。一応部屋を見せてもらいそのままそこに泊まることにしました。
トリプルの部屋は庭を取り囲むように建てられており、木陰には木造のテープル、椅子やハンモックが置かれ、ゆったりとくつろげるスペースがいかにもリゾートタイプの快適な造りになっています。 こりゃあ1泊はないっしょ。
よぉし、今度来るときは!塩湖の周り、温泉に浸かったりとこの世の楽園、ピュアな世界で魂の洗濯を、心に積もった垢落としをしたら、生まれ変わることができるかなー、ついでに年も若返るといいんだけどねー・・・
さて、いい気分のまま、めいめいの持っているハングオーバーの食べ物を木陰のテーブルの上に並べ、取り敢えずランチタイム。
その後夕方のツアー探しに出かけることにしました。
町は全て歩いて事の足りる広さ、格子状の通りにはそれぞれ名前が付いているので、まず間違う心配はない。
通り沿いにはツーリストが軒並み、様々なツアーの玄関口になっています。
その中でも「月の谷の夕日ツアー」は目玉で、どこでも扱ってはいるものの、値段、内容に若干の差があるようです。
とは言え、当日でもあり出発時間は数時間後に迫っていて、今回は選択の余地無し、3人まとめての「空き」が問題なのでしたぁ。
数箇所廻ったところでやっと「空き」を見つけ、身振り手振りで予約成立。
午後4時スタート。
私の喉の具合は悪化の一路を辿り、唾を飲み込む度に激痛が走る。体も何となくダルい。
体は部屋で休めと言っているようだけど、せっかく此処まで来たのだから・・・夕日が沈むまで頑張るかー。
Kさんに抗生剤をもらい、発熱はかろうじて抑えられている感じ・・・。
これから街を散策するという元気な二人と別れ、私はホテルに直帰で夕方に備え、ベッドに横になりました。
英語ガイド付き“月の谷ツアー” 8名乗りのバンは観光客で満席状態。
月の谷は予想を上回り、別世界の感動おぉ!
太古の時代、氷河だったという峡谷、そこを抜けると遥か彼方まで続く月面状態の山々。
目前に迫る山は巨大な砂山で、最初アリ粒の様に見えた人影は若者たちがサンドスキーに興じているところでした。
このサンドスキーは言わば砂を雪に見立たスノーボード、「若者限定スポーツ」という感じです。
それにしても砂漠だと一年中やれるという訳ねー。
実家に帰った際、オーストラリアでサンドスキーを体験したという姪に「かっこ良かったよー!」と言ったところ、「あれねー、見た目ぇほどカッコえいもんじゃないでぇ(土佐弁)」とか。
目や鼻、耳など穴という穴に砂が入り、転ぶ度、悲惨な苦しみに悶えなければならないという・・・。
なるほど、止めておいて良かったぁ。
奇岩の迫ってくる場所、プラネットワールドの気分を味わって、歩くこと約1時間。
ガイドのおじさんが時計を気にし始め、慌てた様子でやたらと急かす。
そっか、このツアーの目的はサンセット。間に合わなければ料金返金の憂き目に会うのでしょうか。
元来た道をスピードを上げて走るはしる。
結果、数分前にビューポイントに滑り込みセーフで夕日ツアーの面目を保ちましたねー。
太陽が沈むにつれ、遠くの山々がピンクやブルーに刻一刻と変わっていく様はほとんど幻想的でさえありました。
〆の夕飯はガイドお勧めのレストランにて。
喉に負担のない具だくさんスープを注文、他のビーフ、サラダもなかなかで、今回の旅行で「5指に入る食事内容」だと、皆の見解が一致しました。
長かった一日が終わり、ベッドに入る事がこれほど嬉しく感じたのは今回の旅行で初めての経験ですぅ。
予定では明日、夜行バスに乗ってペルーのアレキパに向かうはずが、その行程に問題発生!
アレキパまで直行便が当然あるものだと思っていたら、インターナショナルバスはこの街からは出ていないとの事。
で、ルートとしてはハイヤーでチリの国境の町アリカまで行ってイミグレーションを通過したあと、ペルーのタグナというバスターミナルのある町に行き、アレキパ行きのバスに乗る。
これが最短コースらしい。予定していた時間より約半日のロス。
でもま、3泊4日を予定していたウユニツアーが2泊3日で一日浮いたし、差し引き半日、このぐらいの誤差は想定済みかぁ。
ただ、私の体調は想定外なのですー。
次回に続く
[暑い、熱ーい一日]
昨日、9・9は「オスプレイ反対」の県民大会の日。
今帰仁村の用意したバスに乗って浦添の会場に行ってきました。
レッドカードの赤のTシャツ、帽子には赤のハイビスカスでちょっぴりオシャレして。
10万人を越す人出、それなりにインパクトのある大会ではありましたが、静まり返った基地を見ると、このエネルギーが何となく虚しく感じられるのです。
もっと直接的にやれることはないのでしょうか。
例えば、基地の周りを取り囲みシュプレヒコール、出入りする車にブーイングを浴びせる。
軍用機の騒音に対しては巨大拡声器で米軍基地に向けて「カチャーシ」の音楽を一日中流す。
米軍の兵隊には全てにおいて販売価格を釣り上げる。
潤沢な“思いやり予算”で「住みやすい沖縄」。
せめて嫌がらせをして「住みにくいなー」と思わせなくちゃ。
以上、沖縄おばぁの意見よねー。
Posted by よさこい at
16:20
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2012年09月01日
壮大なる南米紀行(ウユニツアー)
4月17日(火曜日)―19日
ウユニ塩湖ツアーのメンバーは6名。(このリンクを是非開いてみてください。写真がすごく綺麗でまた行きたくなりましたー)
ランクルの中で、また宿泊施設の部屋も6人一緒という共同体で、男女問わずの密着度、嫌が応でも仲良くなるパターンです。
Hanno(ハノ)というドイツ人の学生は、気さくで日本に興味有りあり。将来は慶応大学に編入を希望しているそうな。「何とか安く逗留できる方法をはないか」と質問を受けた際、「沖縄に来たら泊めてあげるよ」と言ったけど、ちょっと遠すぎるようで反応はイマイチ。
また、佐賀県お住まいのEさんご夫婦。ご主人がグライダーの教官をしているとかで、さすがに空の状況には詳しい。
「こういう雲の時は飛ぶのに最高」とか、風がどうのとか、空ばかり見上げていました。
この方グライダーの「滞空記録」を持っているそうで、教官として日本中廻っているらしいのです。もっとも飛行場の場所は限られているらしいけど、それにしてもスケールの大きいこと!
佐賀に訪ねて行ったらグライダーに乗せてもらえるそうですよぉ。
初めて見る大パノラマ。海抜3500メートルに広がるウユニ塩湖、それに続く荒涼たる大地は、私達の住むエリアとは違う地球の一面、何だか宇宙的なものを感じてしまう壮大な場所でした。
塩湖はちょうど雨期との端境期で、まだ車の乗り入れ可能で、遠くには湖に映る冠雪した山々が見え、ちょっと贅沢なシチュエーション。
この場所の一番のシーズンは、塩湖に水が薄く張って巨大な鏡の様になる、「雨期」なのだとか。
しばしカメラの撮影タイム。
ここは対象物が何も無いので遠近感というものが無く、たとえば遠くの小さな人物と近くの人物が同じ位置に立っている様に見えるので、アイディア次第でトリッキィな写真が撮れ、遊ぶことが出来るのです。
主にハノの指示でカメラの前で色んなポーズを取らされ、おかげで面白い写真が出来上がりましたー。(作品はKさんのカメラに・・)
塩のブロックで積み上げられた「塩のホテル」の傍でのランチタイム。
このホテル、家具もベッドも塩でできているらしい。シャワーはどうなの・・・下衆の勘ぐり?
ドライバーが準備してくれた昼食は、スープに“ポニョ”という鶏肉をすり潰して焼いたものにケチャップ、マヨネーズを付けて食べるローカル料理。これが結構イケました。
←一日目の宿。夜9時以降は真っ暗になる。
果てしない平原に道路は無く、わだちの跡が所構わずあるだけなので、個人的に車で来ても目的地にたどり着くのはちと厳しい。途中ツアーのランクル以外出会った車は皆無でした。
湖があちらこちらにあり、そこにフラミンゴが群れてパラダイスになっています。
火山地帯なので、富士山にそっくりな山いくつもあり、その標高は5000メートル以上。
←かっこいいハノ
ガイドの指差す先には5980メートルというのも在りました。でもま、私達の立ってる位置が4400メートルだから、山自体の高さは1000メートル級という訳で、我が富士山の勝ち。
それらの山々をバックに広がるフラミンゴの湖、この風景はちょっと筆舌に尽くしがたいものがあります。というか、私の表現力では限界が・・・ファンタスチック
高山病からくる頭痛、咳と喉の痛みさえ無ければもっと満喫できたと思われます、はい。
試しに塩湖の塩でうがいもしてみましたぁ。塩には変わりはない訳だし・・・
どこを切り取っても絵になる
←「ウユニ富士」と命名
石を重ねて願いを込めるのです。
私は大きなのを作ってきたけど・・↓
↑温泉越しに見える朝日
同じ部屋で寝泊りするうち、ドイツ人学生のハノとも親しくなり、これから行くアレキパの情報等も色々とゲット。お互いメールの交換もして、今後に繋げましょうか。
沖縄には「いちゃりばチョウデー(兄弟)」という言葉があるよぉ。
3日目、チリに抜ける国境付近で私達3人を降ろし、ツアーはUターンでウユニに7時間かけて戻るという。ハノとEさん夫婦に別れを告げ、チリ入国手続きをしてバスでサンペドロアタカマに向かいます。約1時間の旅。
チリに入ると、道路状況はガラリと変わり舗装された綺麗な道路が砂漠の中に延々と続いています。したがってバスもなかなかの乗り心地。流石に南米一道路網が整備されているチリだけのことはある。
お昼前には目的地サンペドロアタカマに無事到着しました。
予定では此処に1泊して再び夜行バスでペルーの海岸近くの街アレキパに行く、という少々強行軍の旅なのです。
私の喉が・・ツアー中に音を上げて・・・懸念していた・・声が全く出ないという症状に・・・
サンペドロでは宿泊先を決めていないし、夕方予定している“月の谷”のツアーの予約とか・・・
どーしよ
こうなったら、二人に頑張ってもらうしかないわねー。
次回に続く
[沖縄のお盆]
8月30日が「ウンケイ」といってご先祖様の霊をお迎えする日。
そして9月1日の今日が「ウークイ」で霊をあの世にお見送りする日。
この3日間はウチナーンチュにとって親戚まわりでとても忙しい時期なのです。
食堂などは殆んどがお休み。ナイチャーにとっては手持ち無沙汰な3日間。
特にウークイは海に出てはいけない日だそうで、朝から何やら思案していた夫は作業着に着替え、
車庫の横の木を植え替えにかかりました。コーヒーの木とウコンの木の移動。その跡に道具棚を作るそうな。
こういうこと(家事とは関係ないこと)にはマメな人なのですねー。
エイサーの太鼓の音が遠くから聞こえてくる、お盆最後の「ウークイ」の夜。
月は満月。
ウユニ塩湖ツアーのメンバーは6名。(このリンクを是非開いてみてください。写真がすごく綺麗でまた行きたくなりましたー)
ゴマ粒のようなランクル軍団→
ランクルの中で、また宿泊施設の部屋も6人一緒という共同体で、男女問わずの密着度、嫌が応でも仲良くなるパターンです。
Hanno(ハノ)というドイツ人の学生は、気さくで日本に興味有りあり。将来は慶応大学に編入を希望しているそうな。「何とか安く逗留できる方法をはないか」と質問を受けた際、「沖縄に来たら泊めてあげるよ」と言ったけど、ちょっと遠すぎるようで反応はイマイチ。
また、佐賀県お住まいのEさんご夫婦。ご主人がグライダーの教官をしているとかで、さすがに空の状況には詳しい。
「こういう雲の時は飛ぶのに最高」とか、風がどうのとか、空ばかり見上げていました。
この方グライダーの「滞空記録」を持っているそうで、教官として日本中廻っているらしいのです。もっとも飛行場の場所は限られているらしいけど、それにしてもスケールの大きいこと!
佐賀に訪ねて行ったらグライダーに乗せてもらえるそうですよぉ。
初めて見る大パノラマ。海抜3500メートルに広がるウユニ塩湖、それに続く荒涼たる大地は、私達の住むエリアとは違う地球の一面、何だか宇宙的なものを感じてしまう壮大な場所でした。
塩湖はちょうど雨期との端境期で、まだ車の乗り入れ可能で、遠くには湖に映る冠雪した山々が見え、ちょっと贅沢なシチュエーション。
この場所の一番のシーズンは、塩湖に水が薄く張って巨大な鏡の様になる、「雨期」なのだとか。
しばしカメラの撮影タイム。
ここは対象物が何も無いので遠近感というものが無く、たとえば遠くの小さな人物と近くの人物が同じ位置に立っている様に見えるので、アイディア次第でトリッキィな写真が撮れ、遊ぶことが出来るのです。
主にハノの指示でカメラの前で色んなポーズを取らされ、おかげで面白い写真が出来上がりましたー。(作品はKさんのカメラに・・)
塩のブロックで積み上げられた「塩のホテル」の傍でのランチタイム。
このホテル、家具もベッドも塩でできているらしい。シャワーはどうなの・・・下衆の勘ぐり?
ドライバーが準備してくれた昼食は、スープに“ポニョ”という鶏肉をすり潰して焼いたものにケチャップ、マヨネーズを付けて食べるローカル料理。これが結構イケました。
←一日目の宿。夜9時以降は真っ暗になる。
果てしない平原に道路は無く、わだちの跡が所構わずあるだけなので、個人的に車で来ても目的地にたどり着くのはちと厳しい。途中ツアーのランクル以外出会った車は皆無でした。
湖があちらこちらにあり、そこにフラミンゴが群れてパラダイスになっています。
火山地帯なので、富士山にそっくりな山いくつもあり、その標高は5000メートル以上。
←かっこいいハノ
ガイドの指差す先には5980メートルというのも在りました。でもま、私達の立ってる位置が4400メートルだから、山自体の高さは1000メートル級という訳で、我が富士山の勝ち。
それらの山々をバックに広がるフラミンゴの湖、この風景はちょっと筆舌に尽くしがたいものがあります。というか、私の表現力では限界が・・・ファンタスチック
高山病からくる頭痛、咳と喉の痛みさえ無ければもっと満喫できたと思われます、はい。
試しに塩湖の塩でうがいもしてみましたぁ。塩には変わりはない訳だし・・・
どこを切り取っても絵になる
←「ウユニ富士」と命名
石を重ねて願いを込めるのです。
私は大きなのを作ってきたけど・・↓
↑温泉越しに見える朝日
同じ部屋で寝泊りするうち、ドイツ人学生のハノとも親しくなり、これから行くアレキパの情報等も色々とゲット。お互いメールの交換もして、今後に繋げましょうか。
沖縄には「いちゃりばチョウデー(兄弟)」という言葉があるよぉ。
3日目、チリに抜ける国境付近で私達3人を降ろし、ツアーはUターンでウユニに7時間かけて戻るという。ハノとEさん夫婦に別れを告げ、チリ入国手続きをしてバスでサンペドロアタカマに向かいます。約1時間の旅。
チリに入ると、道路状況はガラリと変わり舗装された綺麗な道路が砂漠の中に延々と続いています。したがってバスもなかなかの乗り心地。流石に南米一道路網が整備されているチリだけのことはある。
お昼前には目的地サンペドロアタカマに無事到着しました。
予定では此処に1泊して再び夜行バスでペルーの海岸近くの街アレキパに行く、という少々強行軍の旅なのです。
私の喉が・・ツアー中に音を上げて・・・懸念していた・・声が全く出ないという症状に・・・
サンペドロでは宿泊先を決めていないし、夕方予定している“月の谷”のツアーの予約とか・・・
どーしよ
こうなったら、二人に頑張ってもらうしかないわねー。
次回に続く
[沖縄のお盆]
8月30日が「ウンケイ」といってご先祖様の霊をお迎えする日。
そして9月1日の今日が「ウークイ」で霊をあの世にお見送りする日。
この3日間はウチナーンチュにとって親戚まわりでとても忙しい時期なのです。
食堂などは殆んどがお休み。ナイチャーにとっては手持ち無沙汰な3日間。
特にウークイは海に出てはいけない日だそうで、朝から何やら思案していた夫は作業着に着替え、
車庫の横の木を植え替えにかかりました。コーヒーの木とウコンの木の移動。その跡に道具棚を作るそうな。
こういうこと(家事とは関係ないこと)にはマメな人なのですねー。
エイサーの太鼓の音が遠くから聞こえてくる、お盆最後の「ウークイ」の夜。
月は満月。
Posted by よさこい at
21:50
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2012年08月26日
壮大なる南米紀行(ラパスーウユニ)
4月16日(月曜日)―17日
さて、私たちの旅行もいよいよ終盤です、残すところ10日間かー。
夕方7:00の夜行バスでウユニに向かいます。ウユニからはチリのサンペドロアタカマに抜けるツアーを利用。
これはKさんのロンドンにいるお嬢さんNちゃんが新婚の時に彼と二人で辿ったルートだとかで、Nちゃんのお勧めコース。
ウン、楽しみ、楽しみ。
←月曜日、唯一開いていた民族博物館
素晴らしい建物でした
ラパスのバスターミナルで予約をする際、問題発生。予定していた「デラックスバス」が明日しか出ないという!
バス移動はフルフラットシートの「デラックス」を利用すると決めていたのに・・・
今更日程を変更するわけにもいかず、仕方なく一つランクを落として、夕方発の夜行バス「セミカマ」を予約。
でもま、リクライニングシートもブランケットも付いていて、寝るのには「問題ない」という窓口のオバサンの言葉を信じましょ。
しかし・・・甘かったデス。
ラパスーウユニ間、約1000kmが100ソーレス(1200円強)、大体安すぎる~。
その甘い考えのツケは、19時から6時にかけての11時間に払うハメになりました。
バスに乗り込んだ途端、思い込んでいた「ビジネスクラス」の妄想は淡くも消し飛び、掛けるのをはばかられる様なグレーのブランケット、リクライニングもせいぜい45度か夢にまで見たフルフラット座席とは程遠い。
おまけに若いバックパッカーのグループの夜中じゅう続く喧騒。後部にあるトイレの水が出ない!床に散らばるティッシュの山。座席まで漂う臭気・・・もう二度と入りたくない。
明け方には、決して使うまいと心に決めていたブランケットも首からスッポリかけないと耐えられない寒さに、(そ、此処は3~4千メートルの高地)乾燥とホコリが加わって、遂には私の一番の弱点、気管支にダメージを受けてしまいましたー。
喉にタオルを巻き、寒さと戦いながらの後にも先にも無い、悪魔の様な過酷な一晩を過ごしたのです。
何処にでも寝られるという私の特技も発せられないまま、ウユニに到着。
早朝の街中広場のような所にポイと降ろされて、あたりを見回しても休む所も何も無い。
途方にくれる中、旅行会社の客引きと思われる男性が近寄ってきて「朝食が取れる場所あるよ」。
警戒心など持つ余裕もなく「地獄に佛」の面持ちで、言われるままに後について行くと、とあるカフェに案内され朝食とコーヒーで一息つくことができたのです。やーれやれ・・・
ウユニはツアー会社が乱立する街。
その中で、殆どの日本人が利用するという「穂高」というツーリスト会社(以前、B・Aで新婚旅行の若者に教えてもらった)のオープンを待つ。何せ、日本語に飢餓状態の皆のたっての希望。少々高めの値段設定でも我慢がまん。
狭い事務所の中には何人かの日本人がいて、それぞれのツアーを待っている様子。
中にはウユニに1ヶ月ほど逗留しているという若い子も。海外に長く居ると「ふるさとの○○なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の心境なのでしょうかねー
「穂高」という名前から期待した日本人の経営するツーリストではなく、現地スタッフはかろうじて英語が話せる程度。
2泊3日のこのツアーは四国の約半分の大きさの塩の大地をランドクルーザーで巡るもの。
ランクルは6人乗りで、私たちの他には、山口県から来られた日本人のEさんご夫婦とハノというドイツ人の学生、それに食事の世話から全ての行程を任せる一人のドライバーがツアーのメンバーということらしい。
さて、さて約3700mに広がる奇跡の大地、ウユニ塩湖に出発です。
楽しみではあるけれど、頭痛と気管支炎を発症している者にとっては・・・かなり辛い旅になりそーな予感
次回に続く
[只今台風中]
大型台風15号、未明から強風が吹き荒れ、だんだんと強さを増してきます。
今夜がピークだとか。つけっぱなしのラジオでは頻繁に台風情報が放送され、嫌が応でも緊張感をかき立ててくれる。
主な橋は通行止め、スーパーは軒並み臨時休業で、何処にも動けずやることも無いので、「停電」までの間取り敢えず、ブログをアップデートすることにしまーす。
過去最大級の規模と言われる最高風速70メートルは未経験ドキドキ
さて、私たちの旅行もいよいよ終盤です、残すところ10日間かー。
ラパスともお別れ、最後に街を見渡せる高台に登りました→
夕方7:00の夜行バスでウユニに向かいます。ウユニからはチリのサンペドロアタカマに抜けるツアーを利用。
これはKさんのロンドンにいるお嬢さんNちゃんが新婚の時に彼と二人で辿ったルートだとかで、Nちゃんのお勧めコース。
ウン、楽しみ、楽しみ。
←月曜日、唯一開いていた民族博物館
素晴らしい建物でした
ラパスのバスターミナルで予約をする際、問題発生。予定していた「デラックスバス」が明日しか出ないという!
バス移動はフルフラットシートの「デラックス」を利用すると決めていたのに・・・
今更日程を変更するわけにもいかず、仕方なく一つランクを落として、夕方発の夜行バス「セミカマ」を予約。
でもま、リクライニングシートもブランケットも付いていて、寝るのには「問題ない」という窓口のオバサンの言葉を信じましょ。
しかし・・・甘かったデス。
ラパスーウユニ間、約1000kmが100ソーレス(1200円強)、大体安すぎる~。
その甘い考えのツケは、19時から6時にかけての11時間に払うハメになりました。
バスに乗り込んだ途端、思い込んでいた「ビジネスクラス」の妄想は淡くも消し飛び、掛けるのをはばかられる様なグレーのブランケット、リクライニングもせいぜい45度か夢にまで見たフルフラット座席とは程遠い。
おまけに若いバックパッカーのグループの夜中じゅう続く喧騒。後部にあるトイレの水が出ない!床に散らばるティッシュの山。座席まで漂う臭気・・・もう二度と入りたくない。
明け方には、決して使うまいと心に決めていたブランケットも首からスッポリかけないと耐えられない寒さに、(そ、此処は3~4千メートルの高地)乾燥とホコリが加わって、遂には私の一番の弱点、気管支にダメージを受けてしまいましたー。
喉にタオルを巻き、寒さと戦いながらの後にも先にも無い、悪魔の様な過酷な一晩を過ごしたのです。
何処にでも寝られるという私の特技も発せられないまま、ウユニに到着。
早朝の街中広場のような所にポイと降ろされて、あたりを見回しても休む所も何も無い。
途方にくれる中、旅行会社の客引きと思われる男性が近寄ってきて「朝食が取れる場所あるよ」。
警戒心など持つ余裕もなく「地獄に佛」の面持ちで、言われるままに後について行くと、とあるカフェに案内され朝食とコーヒーで一息つくことができたのです。やーれやれ・・・
ウユニはツアー会社が乱立する街。
その中で、殆どの日本人が利用するという「穂高」というツーリスト会社(以前、B・Aで新婚旅行の若者に教えてもらった)のオープンを待つ。何せ、日本語に飢餓状態の皆のたっての希望。少々高めの値段設定でも我慢がまん。
狭い事務所の中には何人かの日本人がいて、それぞれのツアーを待っている様子。
中にはウユニに1ヶ月ほど逗留しているという若い子も。海外に長く居ると「ふるさとの○○なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の心境なのでしょうかねー
「穂高」という名前から期待した日本人の経営するツーリストではなく、現地スタッフはかろうじて英語が話せる程度。
2泊3日のこのツアーは四国の約半分の大きさの塩の大地をランドクルーザーで巡るもの。
ランクルは6人乗りで、私たちの他には、山口県から来られた日本人のEさんご夫婦とハノというドイツ人の学生、それに食事の世話から全ての行程を任せる一人のドライバーがツアーのメンバーということらしい。
さて、さて約3700mに広がる奇跡の大地、ウユニ塩湖に出発です。
楽しみではあるけれど、頭痛と気管支炎を発症している者にとっては・・・かなり辛い旅になりそーな予感
次回に続く
[只今台風中]
大型台風15号、未明から強風が吹き荒れ、だんだんと強さを増してきます。
今夜がピークだとか。つけっぱなしのラジオでは頻繁に台風情報が放送され、嫌が応でも緊張感をかき立ててくれる。
主な橋は通行止め、スーパーは軒並み臨時休業で、何処にも動けずやることも無いので、「停電」までの間取り敢えず、ブログをアップデートすることにしまーす。
過去最大級の規模と言われる最高風速70メートルは未経験ドキドキ
暇人が二名→
Posted by よさこい at
17:28
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2012年08月25日
壮大なる南米紀行(ラパスの一日)
4月15日日曜日
本日、のんびりスタートで7:30a.m起床。
朝食は1階のカフェにて、ブッフェ形式の豪華メニュー。
なんせここはラパスの高級ホステルですからねー。
パイン、マンゴーのフレッシュジュースがgood!パンケーキも美味しくて、人気カフェだけあって高品質。
朝から何だか満たされるなー・・・。
ここボリビアの首都ラパスではその物価の安さから、買い物チャ~ンス
気合を入れて街歩きに出かけます。
午前中は近くのロドリゲス広場で週末開かれるというバザール見物。
歩いて行ける場所にあり、延々と続く広大な市場にはテントに果物、野菜類が並べられ、パパイヤ、バナナ、マンゴー、パイナップル、おやおやドリアンまで・・・、亜熱帯の果物は殆ど揃っているかんじ。
そっか、此処ラパス、高地のため気温は低いけれど、緯度的には赤道の近くなんだー。
因みにラパスの標高は3,650m、富士山に近いのデスね。
市場を回るうち、妙な現象に気づきました。
売り手はほとんどがインディオの人達、カメラを向けられるのをめちゃめちゃ嫌がるのです。
売り場風景を遠くから撮ろうとしたのに、危うくじゃがいもをぶつけられそうになり、記念写真もままならない。
今までに無かったこの排他的な現象に戸惑いながらも、全く訳が分からない
市場の人達との「駆け引き」を楽しみにしていたのに、干しいちじくと、みかんを買っただけで早々に引き上げることにしました。
後で聞くところによると、カメラに写ると魂を抜かれると、実しやかに言い伝えられているらしい。
この日はちょうど一年に一度、街を挙げてのフェスティバルに当たっていて、メイン通りの人出はラパス人口の殆どが集まったかの賑わい振り。
その中をきらびやかに着飾った踊り子がブラスバンドを従えて闊歩しています。どうやら各地方からの踊り子隊らしく、子供が主体。
踊り自体は単調なフリフリダンスだけど、各チームがそれぞれの趣向を凝らした装いで、我が子の晴れ姿をおさめようと、踊り子の後になり先になり、大勢の親がカメラ片手に追っかけをしています。
この風景、日本にもある、ある。
←ノリノリFさん
午後は土産物店の立並ぶサガルナガル通りを「下がったり上がったり」・・・。
しっかりと値踏みをしながら土産物などを多数ゲット。
ここで私の値段交渉術をひとつ。
武器は首から下げた計算機と、オバサン根性。
アプローチ・・・あくまでにこやかに、買いたい商品を見つけたら、何でもいいからまず褒めて相手に好印象を与える。(これが成功すれば、さほど交渉しなくても「え、こんなにイイのぉ?」というくらいまけることがある。)
中には超無愛想で、客は敵だと言わんばかりの売り手もいるから、空気を読んで深追いしない。
交渉本番・・・商品を手に取り、ひとまず金額を聞いたあと、さも残念そうにその金額だとお金が足りない旨伝える。
そして、ざっと計算して4~5割引の数字を計算機に入力して提示。
売り手もなんだかんだ言いながらその数字にプラスしてくる。妥協点に達したところで、最後に買う数を増やしてみて、さらにまけさせる。
「○つ買うと幾ら?」あくまでもにこやかに。
ま、此処までやってダメならば、残念そうに商品を手から離す。(この時、売り手がおりることもあるので)
後ろ姿を見せて追ってこなければ、あきらめる。
ホテルに引き上げたあと、収穫物を並べて見せ合って自慢したり、再度いい気分に浸ります。
たいがい他の人の買った物がよく見えるので、次の買い物の目標にしたり。
この日のディナーはスペシャルでしたぁ!4月15日、Fさんの誕生日なのです
1階のレストランにいつもとは違う意気込みで乗り込み、スープからデザートまで、フルコースを値段を見ないでオーダー。
メインにテンダーロインステーキを頼んだものの、注文の際当然聞かれるべき焼き方がはっきりしない。
「ミディアムがいい!」、「私はレアーね」というKさんFさんの声を後ろに聞きながら、ウェイターを捕まえて、「焼き方」を伝えようとしたけど、全く英語が通じないー!相手は注文の変更かと思ったらしく、注文用紙を持ってきてオーダーのステーキを消そうとする。
「違う、違うぅ・・ミディアムだってばぁ」・・・身振り手振りで何とか伝えようとしたけれど、怪訝な顔を見ると100%分かってないんだ、ということがありあり。
肉の焼き方を伝えることがこんなにも難しいものだとは・・・
たとえば・・皆様だったらどのように表現します?
しばらく経って、出た来た物は、想像していた肉の塊ではなく、一口大に切った肉にクリームソースが絡められ、ベイクドポテト、インゲンのソテーが添えられた物。
ま、これじゃぁ言葉が通じたとしても「ミディアム」はないわね。はは
徒労に終わった私の努力を横で見ていたKさんFさん大笑い・・・あのねぇ、人ごとだと思ってねー
料理は絶妙の味付けで、とても美味しかったので、大満足のバースデーディナーではありました。
しかし、今までで一番「言葉の壁」を感じた場面でしたー。
次回に続く・・・
[大型台風接近中]
過去最大級の台風だとか。15号、最大風速70mでじわりじわりと沖縄本当に接近中です。今日の夜半から明日にかけて暴風雨が吹き荒れるらしい。週末のイベントは軒並みキャンセルや延期。日曜日行くことになっていたフラの大会もキャンセルだー!
「異例」の気象庁の台風警戒警報が出されました。
羽地内海には大型船舶が続々と避難してきて、強風や突然の雨で台風前の不穏な天気。
←ロープでデッキの屋根を固定したり・・・
風速70mはまだ経験したことがないけれど、バナナも軒先に下がった黄色い花も・・・どうなることか。・・・
今回ばかりは沖縄県全体が不安に包まれ、来る時を待っている状態です。
バナナの葉っぱを切り落としたり・・・
本日、のんびりスタートで7:30a.m起床。
朝食は1階のカフェにて、ブッフェ形式の豪華メニュー。
なんせここはラパスの高級ホステルですからねー。
パイン、マンゴーのフレッシュジュースがgood!パンケーキも美味しくて、人気カフェだけあって高品質。
朝から何だか満たされるなー・・・。
ここボリビアの首都ラパスではその物価の安さから、買い物チャ~ンス
気合を入れて街歩きに出かけます。
午前中は近くのロドリゲス広場で週末開かれるというバザール見物。
歩いて行ける場所にあり、延々と続く広大な市場にはテントに果物、野菜類が並べられ、パパイヤ、バナナ、マンゴー、パイナップル、おやおやドリアンまで・・・、亜熱帯の果物は殆ど揃っているかんじ。
そっか、此処ラパス、高地のため気温は低いけれど、緯度的には赤道の近くなんだー。
因みにラパスの標高は3,650m、富士山に近いのデスね。
市場を回るうち、妙な現象に気づきました。
売り手はほとんどがインディオの人達、カメラを向けられるのをめちゃめちゃ嫌がるのです。
売り場風景を遠くから撮ろうとしたのに、危うくじゃがいもをぶつけられそうになり、記念写真もままならない。
ぶつけられそうになった白いじゃがいも→
今までに無かったこの排他的な現象に戸惑いながらも、全く訳が分からない
市場の人達との「駆け引き」を楽しみにしていたのに、干しいちじくと、みかんを買っただけで早々に引き上げることにしました。
後で聞くところによると、カメラに写ると魂を抜かれると、実しやかに言い伝えられているらしい。
この日はちょうど一年に一度、街を挙げてのフェスティバルに当たっていて、メイン通りの人出はラパス人口の殆どが集まったかの賑わい振り。
その中をきらびやかに着飾った踊り子がブラスバンドを従えて闊歩しています。どうやら各地方からの踊り子隊らしく、子供が主体。
踊り自体は単調なフリフリダンスだけど、各チームがそれぞれの趣向を凝らした装いで、我が子の晴れ姿をおさめようと、踊り子の後になり先になり、大勢の親がカメラ片手に追っかけをしています。
この風景、日本にもある、ある。
←ノリノリFさん
午後は土産物店の立並ぶサガルナガル通りを「下がったり上がったり」・・・。
しっかりと値踏みをしながら土産物などを多数ゲット。
ここで私の値段交渉術をひとつ。
武器は首から下げた計算機と、オバサン根性。
アプローチ・・・あくまでにこやかに、買いたい商品を見つけたら、何でもいいからまず褒めて相手に好印象を与える。(これが成功すれば、さほど交渉しなくても「え、こんなにイイのぉ?」というくらいまけることがある。)
中には超無愛想で、客は敵だと言わんばかりの売り手もいるから、空気を読んで深追いしない。
交渉本番・・・商品を手に取り、ひとまず金額を聞いたあと、さも残念そうにその金額だとお金が足りない旨伝える。
そして、ざっと計算して4~5割引の数字を計算機に入力して提示。
売り手もなんだかんだ言いながらその数字にプラスしてくる。妥協点に達したところで、最後に買う数を増やしてみて、さらにまけさせる。
「○つ買うと幾ら?」あくまでもにこやかに。
ま、此処までやってダメならば、残念そうに商品を手から離す。(この時、売り手がおりることもあるので)
後ろ姿を見せて追ってこなければ、あきらめる。
ホテルに引き上げたあと、収穫物を並べて見せ合って自慢したり、再度いい気分に浸ります。
たいがい他の人の買った物がよく見えるので、次の買い物の目標にしたり。
この日のディナーはスペシャルでしたぁ!4月15日、Fさんの誕生日なのです
1階のレストランにいつもとは違う意気込みで乗り込み、スープからデザートまで、フルコースを値段を見ないでオーダー。
メインにテンダーロインステーキを頼んだものの、注文の際当然聞かれるべき焼き方がはっきりしない。
「ミディアムがいい!」、「私はレアーね」というKさんFさんの声を後ろに聞きながら、ウェイターを捕まえて、「焼き方」を伝えようとしたけど、全く英語が通じないー!相手は注文の変更かと思ったらしく、注文用紙を持ってきてオーダーのステーキを消そうとする。
「違う、違うぅ・・ミディアムだってばぁ」・・・身振り手振りで何とか伝えようとしたけれど、怪訝な顔を見ると100%分かってないんだ、ということがありあり。
肉の焼き方を伝えることがこんなにも難しいものだとは・・・
たとえば・・皆様だったらどのように表現します?
しばらく経って、出た来た物は、想像していた肉の塊ではなく、一口大に切った肉にクリームソースが絡められ、ベイクドポテト、インゲンのソテーが添えられた物。
ま、これじゃぁ言葉が通じたとしても「ミディアム」はないわね。はは
徒労に終わった私の努力を横で見ていたKさんFさん大笑い・・・あのねぇ、人ごとだと思ってねー
料理は絶妙の味付けで、とても美味しかったので、大満足のバースデーディナーではありました。
しかし、今までで一番「言葉の壁」を感じた場面でしたー。
次回に続く・・・
[大型台風接近中]
過去最大級の台風だとか。15号、最大風速70mでじわりじわりと沖縄本当に接近中です。今日の夜半から明日にかけて暴風雨が吹き荒れるらしい。週末のイベントは軒並みキャンセルや延期。日曜日行くことになっていたフラの大会もキャンセルだー!
「異例」の気象庁の台風警戒警報が出されました。
羽地内海には大型船舶が続々と避難してきて、強風や突然の雨で台風前の不穏な天気。
←ロープでデッキの屋根を固定したり・・・
風速70mはまだ経験したことがないけれど、バナナも軒先に下がった黄色い花も・・・どうなることか。・・・
今回ばかりは沖縄県全体が不安に包まれ、来る時を待っている状態です。
バナナの葉っぱを切り落としたり・・・
Posted by よさこい at
13:28
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2012年08月17日
壮大なる南米紀行(プーノーラパス)
4月14日土曜日)
今朝はどうも寝覚めが悪いのです。「頭痛!」
昨夜からの心配が的中、私(だけ)に「高山病」の症状がついに発症!
クスコに着く前の日から3日間薬を服用して、O.Kのはずだったのにー。
他の二人は「ケロッ」っとしたもので、湖の朝日を見に行くのだとか、ベッドで布団をかぶる私を尻目に颯爽と出かけました。
朝市見物もしてご機嫌なお二人、やっと起きだした私を力づけるためにお土産に買ってきてくたフルーツ類。
再度服用した薬とフルーツのおかげで何となく頭痛も治まり、朝食を済ませたあとは次の行程に備え荷物をまとめます。
フロントの「ニコニコおじさん」に頼んであったツアー料金支払いの際、ちぃっとトラブル。
要求された値段は、昨夜聞いていた値段より一人あたり10ソーレス高い!
なんだかんだ言い訳をする「ニコニコおじさん」と交渉の末、5ソーレスの値幅で収まったものの、何だかいや~な気分!
オバサンだからって、甘く見ないでよねっ
チチカカ湖に浮かぶウロス島を訪れる3時間のツアー。
早朝の湖にはボートが沢山繋いであって、綺麗な大型ボートの横の小さなオンボロボートに案内され・・・
ボートには、3組の無防備(内容を良くチェックしなかったらしい)なツアー客がすでに乗船していました。中国人の3人の女の子は香港から休暇を利用して来たのだとか。
出発前に民族楽器の演奏家が乗り込んできて、「コンドルは飛んでいく」等数曲を演奏、しっかりとチップを要求して去っていきましたぁ。
これって、半強制?だって耳は塞げないしねー
一応ツアーガイドも付いていて、スパニッシュ系英語を早口で話す。
チチカカ湖はチリとボリビアを跨いだ大きな湖で、標高3,850m、(富士山より高いところにある湖)。
湖に浮かぶ島にはケチュア族、ウル(Uros)族等と呼ばれる人々が以前は2000人位から、現在約700人位、主に観光客を相手に生計を立てているという。
湖に生えているトトラという葦に似た植物を積み上げ(約3mの厚さ)、それを湖に浮かせた浮島の上で生活しています。
何でまたよりによって草の上でっ!
因みにトトラという植物、人間や家畜の食料にもなり、家や船、あらゆる物に利用されている、究極のお役立ち植物なのです。
ツアーでは一つの島に上陸して、とても友好的な(それが仕事なので)島民のパフォーマンスや、生活様式、島の構造についての講義があり、各家を訪問したり。そして、島民の手作り品を見て回ってお買い物。
気になったのは、彼らは一応に若者も含め太り気味なのです。
ま、無理もないか、この島の上では運動なんてできないし。
ただ、手先はとても器用で、手作りの小物や編み物などはなっかなか。
お土産を買うことで島の人達の生活の足しになればと、選んだのはトトラで作られたモビール。
やはり値段交渉はしなくちゃねー。ギリギリのせんまでまけてもらって、おまけとして、ペンダントをゲット。
ガイドブックに「島民へのギフトにフルーツを」、とあったので、みかんを買って持っていったけど反応はイマイチ、やはりこの時代「現金」に勝るものはないのかなー。
その後、トトラで編み上げた船に乗るという、それには一人20ソーレス(約600円強)のエキストラチャージ。
これって、半強制?だって行き先にボートが待っている訳だし。これに乗らなきゃそこまで行けないしぃ・・・
と、いうように、観光地というのは、いたるところでお金を要求される羽目になる訳ねー。ま、税金の様なものか。
午後2:30、島周りのバスでボリビアの首都ラパスに向かいます。約5~6時間。
途中、バスを降りてボートに乗り換え、湖を渡って再びバスに乗り小高い山を超えてラパス入り。夜になっていたけれど、さすが首都だけあって大都会、規模の大きさを感じました。
ただ、東京などと違うところは、この大都会、きらびやかなイルミネーションは一つとして無く、必要最低限の光源が通りを照らしているだけで、山の上から見渡す町全体が薄暗いのです。
日本はいかに無駄な電気を使っていることか・・・文明の名を借りた「奢り」を感じてしまいましたねー。
ラパスでは中心街に近いサガルナガル通りの近くのホステル、お値段はペルーと変わらないのに、かなりのグレード。
そっかぁ、物価が安いんだ!
一階は通りに面した人気カフェのようで、お客が絶えない。ケーキとかも充実しているようで、o(^o^)oわーい
長旅の後のくつろげる場所(お湯の心配もなく)はサイコー!
1泊延長することにして、明日は週末開かれるというバザールを見物、あとは気ままにお散歩というスケジュール。
1時半、その日はいつもより遅めの就寝でした。
次回に続く。
[海デビュー]
炎天下、夫が友人のKさんにパドボ(正式にはスタンドアップパドルサーフィンと言うらしい)の特訓をやるというので、私もついて行ってみました。夫は去年の12月に始めたばかりだというのに、すっかりハマって毎日海通い。
2艇目のボード買うときに、私にお下がりがまわってきたというわけ。
紫外線が怖くて、ちょっと引いていたけれど、考えてみるともう先は長くない訳だし、今やれることをやっておかなくてはねっ。
面白かったデス。
今朝はどうも寝覚めが悪いのです。「頭痛!」
昨夜からの心配が的中、私(だけ)に「高山病」の症状がついに発症!
クスコに着く前の日から3日間薬を服用して、O.Kのはずだったのにー。
他の二人は「ケロッ」っとしたもので、湖の朝日を見に行くのだとか、ベッドで布団をかぶる私を尻目に颯爽と出かけました。
朝市見物もしてご機嫌なお二人、やっと起きだした私を力づけるためにお土産に買ってきてくたフルーツ類。
再度服用した薬とフルーツのおかげで何となく頭痛も治まり、朝食を済ませたあとは次の行程に備え荷物をまとめます。
フロントの「ニコニコおじさん」に頼んであったツアー料金支払いの際、ちぃっとトラブル。
要求された値段は、昨夜聞いていた値段より一人あたり10ソーレス高い!
なんだかんだ言い訳をする「ニコニコおじさん」と交渉の末、5ソーレスの値幅で収まったものの、何だかいや~な気分!
オバサンだからって、甘く見ないでよねっ
チチカカ湖に浮かぶウロス島を訪れる3時間のツアー。
早朝の湖にはボートが沢山繋いであって、綺麗な大型ボートの横の小さなオンボロボートに案内され・・・
ボートには、3組の無防備(内容を良くチェックしなかったらしい)なツアー客がすでに乗船していました。中国人の3人の女の子は香港から休暇を利用して来たのだとか。
出発前に民族楽器の演奏家が乗り込んできて、「コンドルは飛んでいく」等数曲を演奏、しっかりとチップを要求して去っていきましたぁ。
これって、半強制?だって耳は塞げないしねー
演奏は素晴らしいお兄さん→
一応ツアーガイドも付いていて、スパニッシュ系英語を早口で話す。
チチカカ湖はチリとボリビアを跨いだ大きな湖で、標高3,850m、(富士山より高いところにある湖)。
湖に浮かぶ島にはケチュア族、ウル(Uros)族等と呼ばれる人々が以前は2000人位から、現在約700人位、主に観光客を相手に生計を立てているという。
湖に生えているトトラという葦に似た植物を積み上げ(約3mの厚さ)、それを湖に浮かせた浮島の上で生活しています。
何でまたよりによって草の上でっ!
因みにトトラという植物、人間や家畜の食料にもなり、家や船、あらゆる物に利用されている、究極のお役立ち植物なのです。
食用としては白い部分、お味は・・・
ツアーでは一つの島に上陸して、とても友好的な(それが仕事なので)島民のパフォーマンスや、生活様式、島の構造についての講義があり、各家を訪問したり。そして、島民の手作り品を見て回ってお買い物。
気になったのは、彼らは一応に若者も含め太り気味なのです。
ま、無理もないか、この島の上では運動なんてできないし。
ただ、手先はとても器用で、手作りの小物や編み物などはなっかなか。
お土産を買うことで島の人達の生活の足しになればと、選んだのはトトラで作られたモビール。
やはり値段交渉はしなくちゃねー。ギリギリのせんまでまけてもらって、おまけとして、ペンダントをゲット。
ガイドブックに「島民へのギフトにフルーツを」、とあったので、みかんを買って持っていったけど反応はイマイチ、やはりこの時代「現金」に勝るものはないのかなー。
その後、トトラで編み上げた船に乗るという、それには一人20ソーレス(約600円強)のエキストラチャージ。
これって、半強制?だって行き先にボートが待っている訳だし。これに乗らなきゃそこまで行けないしぃ・・・
と、いうように、観光地というのは、いたるところでお金を要求される羽目になる訳ねー。ま、税金の様なものか。
午後2:30、島周りのバスでボリビアの首都ラパスに向かいます。約5~6時間。
途中、バスを降りてボートに乗り換え、湖を渡って再びバスに乗り小高い山を超えてラパス入り。夜になっていたけれど、さすが首都だけあって大都会、規模の大きさを感じました。
ただ、東京などと違うところは、この大都会、きらびやかなイルミネーションは一つとして無く、必要最低限の光源が通りを照らしているだけで、山の上から見渡す町全体が薄暗いのです。
日本はいかに無駄な電気を使っていることか・・・文明の名を借りた「奢り」を感じてしまいましたねー。
ラパスでは中心街に近いサガルナガル通りの近くのホステル、お値段はペルーと変わらないのに、かなりのグレード。
そっかぁ、物価が安いんだ!
一階は通りに面した人気カフェのようで、お客が絶えない。ケーキとかも充実しているようで、o(^o^)oわーい
長旅の後のくつろげる場所(お湯の心配もなく)はサイコー!
1泊延長することにして、明日は週末開かれるというバザールを見物、あとは気ままにお散歩というスケジュール。
1時半、その日はいつもより遅めの就寝でした。
次回に続く。
[海デビュー]
炎天下、夫が友人のKさんにパドボ(正式にはスタンドアップパドルサーフィンと言うらしい)の特訓をやるというので、私もついて行ってみました。夫は去年の12月に始めたばかりだというのに、すっかりハマって毎日海通い。
2艇目のボード買うときに、私にお下がりがまわってきたというわけ。
紫外線が怖くて、ちょっと引いていたけれど、考えてみるともう先は長くない訳だし、今やれることをやっておかなくてはねっ。
面白かったデス。
Posted by よさこい at
17:46
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2012年08月11日
壮大なる南米紀行(クスコープーノ)
4月13日(金曜日)
クスコを7:00発のバスでプーノに向かう。プーノで一泊し、湖に沿ってボリビアのラパスに入る行程です。
クスコではなんとかクリアしたものの、これからは半端でない高地を巡るので、(標高3000m以上)高山病に気をつけなければ・・・
プーノでのハイライトは何といってもペルーとボリビアにまたがる“チチカカ湖”です。
その標高3,850m。(日本人に分かり易い比較、「富士山より高い!」)
インカエクスプレス社というメジャーなバス会社の、インカの遺跡を巡りながらの10時間をかけてプーノまで行くツアーで、当然のことながら、満席の乗客はすべて観光客。
指定席に座ろうとしたとき、背後から「こ・ん・に・ち・は」と言う辿たどしい日本語が。
声の主は30歳代の一人旅、コスタリカの男性で、以前日本に住んでいたのだとか。
身体全体、日本人臭を漂わせているようなオバサン達を見て懐かしく、つい声をかけたものらしい。
「この機会逃すものか」とガッチリ食いついた私達、プーノに着くまでの間ずっと後に付いて離れませんでしたー。ヤッタネ!
リカルドと名乗るこの男性、かなりの日本びいきで、日本食大好き、日本人の女性と結婚して別れたばかりなのだとか(傷心を癒す旅?・・・)
ルックスは若かりし頃の千代の富士に似た結構なハンサム。
そしてスペイン語、フランス語、英語を話し、日本語はま、そこそこ。
旅行中、ブロークンジャパニーズとブロークンイングリッシュで、かなりとんちんかんな会話が大真面目に交わされ、双方分かったつもり。
道中、いろいろな遺跡を巡り、ランチは他に何も見るものもないとある村のレストラン(?)で、素晴らしいローカル料理のが提供されました。
このところの食事に、少々物足りなさを感じていた矢先、もう生き返った気分で数々の野菜料理や、スープ、肉料理、デザートを漁って。
リカルドのふるさとで結婚式に振舞われるという「ライスプディング」は絶品で、2杯もお替りしてしまいましたぁ。
日本人は大食なのだ、との印象を植え付けたかも・・・
初めて食べたアルパカの肉、脂肪分は全く無くいかにもヘルシー、固くて噛み砕くのに苦労したという記憶しかなく、アルパカはやっぱ、セーターでしょう。
←大量に取ってしまった、アルパカの肉
それにしてもこのツアー、専用ガイドも添乗していて、これがなかなかの知識人。最初にスペイン語、次に英語でインカの歴史、それぞれの遺跡の説明をユーモアを(多分!)交えて、とうとうと語る。
聞くところによると、かなりの人気ツアーだとか。
プーノまで1日かける価値は十分にあるかと思われます。
←プーノ途中の峠、海抜4350メートル
夕方5時頃プーノに到着。
リカルドとのお別れで、心ばかりのお礼の気持ちにと、日本から持参した「のど飴」の類をひと握り渡して。
決して顔には出さなかったけれど、解放されて「ホッ」としたような、今後の私たちの道中を心配するような別れの言葉は、
「Take care!」・・・プーノでは2泊3日のチチカカ湖のツアーに参加するらしい。
ホステルには日本からメールでやり取りして、迎えを頼んでおいちたので、スタッフの女性がターミナルまで出迎えてくれていました。
知らない土地での出迎えがこんなに嬉しいものだとは・・・
プーノはチチカカ湖に面したこじんまりした湖畔の町。
坂ばかりの町で、その坂の中腹にあるホステル、中心の広場にも近く、ロケーションはまずまず。チチカカ湖のツアーや、ラパスまでのバスチケットも取り扱っているというので、安心してにこやかなオーナーに全て任せることにしました。
事前に、「プーノに着くなりツアー船の客引きに取り囲まれるよ、ボラれないようにね。」と聞かされていたので、その煩わしさから解放されて「ホンとラッキー」。
明日は早朝からチチカカ湖に浮かぶウロス島を訪れるツアー、午後にはバスでラパスに。
次回に続く。
〔台風一過〕
大荒れの天気と共に、村長選挙も終りました。
応援していたK氏は僅差で「惜敗」。
今帰仁村に新しい風は当分の間吹かないことになりました。
本当に「がっかり」ですが、ま、この選挙で燻りだされた数々の問題点、少しは改善に向かうことを期待して見守っていくことにしましょうか。
我が家のバナナの木4本を倒して去った台風11号のあと、沖縄は残暑の気配が濃厚です。
雨をたっぷり含んだ大地は植物(特に雑草)を元気にしています。
クスコを7:00発のバスでプーノに向かう。プーノで一泊し、湖に沿ってボリビアのラパスに入る行程です。
クスコで買ったフラミンゴの織物、我が家の居間にハマッテいまーす→
クスコではなんとかクリアしたものの、これからは半端でない高地を巡るので、(標高3000m以上)高山病に気をつけなければ・・・
プーノでのハイライトは何といってもペルーとボリビアにまたがる“チチカカ湖”です。
その標高3,850m。(日本人に分かり易い比較、「富士山より高い!」)
インカエクスプレス社というメジャーなバス会社の、インカの遺跡を巡りながらの10時間をかけてプーノまで行くツアーで、当然のことながら、満席の乗客はすべて観光客。
指定席に座ろうとしたとき、背後から「こ・ん・に・ち・は」と言う辿たどしい日本語が。
声の主は30歳代の一人旅、コスタリカの男性で、以前日本に住んでいたのだとか。
身体全体、日本人臭を漂わせているようなオバサン達を見て懐かしく、つい声をかけたものらしい。
「この機会逃すものか」とガッチリ食いついた私達、プーノに着くまでの間ずっと後に付いて離れませんでしたー。ヤッタネ!
リカルドと名乗るこの男性、かなりの日本びいきで、日本食大好き、日本人の女性と結婚して別れたばかりなのだとか(傷心を癒す旅?・・・)
ルックスは若かりし頃の千代の富士に似た結構なハンサム。
そしてスペイン語、フランス語、英語を話し、日本語はま、そこそこ。
旅行中、ブロークンジャパニーズとブロークンイングリッシュで、かなりとんちんかんな会話が大真面目に交わされ、双方分かったつもり。
道中、いろいろな遺跡を巡り、ランチは他に何も見るものもないとある村のレストラン(?)で、素晴らしいローカル料理のが提供されました。
このところの食事に、少々物足りなさを感じていた矢先、もう生き返った気分で数々の野菜料理や、スープ、肉料理、デザートを漁って。
リカルドのふるさとで結婚式に振舞われるという「ライスプディング」は絶品で、2杯もお替りしてしまいましたぁ。
日本人は大食なのだ、との印象を植え付けたかも・・・
初めて食べたアルパカの肉、脂肪分は全く無くいかにもヘルシー、固くて噛み砕くのに苦労したという記憶しかなく、アルパカはやっぱ、セーターでしょう。
←大量に取ってしまった、アルパカの肉
それにしてもこのツアー、専用ガイドも添乗していて、これがなかなかの知識人。最初にスペイン語、次に英語でインカの歴史、それぞれの遺跡の説明をユーモアを(多分!)交えて、とうとうと語る。
聞くところによると、かなりの人気ツアーだとか。
プーノまで1日かける価値は十分にあるかと思われます。
可愛いアルパカの子供、写真撮影はあまり好きではないらしい・・→
←プーノ途中の峠、海抜4350メートル
夕方5時頃プーノに到着。
リカルドとのお別れで、心ばかりのお礼の気持ちにと、日本から持参した「のど飴」の類をひと握り渡して。
決して顔には出さなかったけれど、解放されて「ホッ」としたような、今後の私たちの道中を心配するような別れの言葉は、
「Take care!」・・・プーノでは2泊3日のチチカカ湖のツアーに参加するらしい。
ホステルには日本からメールでやり取りして、迎えを頼んでおいちたので、スタッフの女性がターミナルまで出迎えてくれていました。
知らない土地での出迎えがこんなに嬉しいものだとは・・・
屋根の上に沖縄のシーさーそっくりのオブジェ!
プーノはチチカカ湖に面したこじんまりした湖畔の町。
坂ばかりの町で、その坂の中腹にあるホステル、中心の広場にも近く、ロケーションはまずまず。チチカカ湖のツアーや、ラパスまでのバスチケットも取り扱っているというので、安心してにこやかなオーナーに全て任せることにしました。
事前に、「プーノに着くなりツアー船の客引きに取り囲まれるよ、ボラれないようにね。」と聞かされていたので、その煩わしさから解放されて「ホンとラッキー」。
明日は早朝からチチカカ湖に浮かぶウロス島を訪れるツアー、午後にはバスでラパスに。
次回に続く。
〔台風一過〕
大荒れの天気と共に、村長選挙も終りました。
応援していたK氏は僅差で「惜敗」。
今帰仁村に新しい風は当分の間吹かないことになりました。
本当に「がっかり」ですが、ま、この選挙で燻りだされた数々の問題点、少しは改善に向かうことを期待して見守っていくことにしましょうか。
我が家のバナナの木4本を倒して去った台風11号のあと、沖縄は残暑の気配が濃厚です。
雨をたっぷり含んだ大地は植物(特に雑草)を元気にしています。
Posted by よさこい at
19:18
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2012年08月03日
壮大なる南米紀行(クスコの一日)
4月12日(木曜日)
朝8時に起床、久々のゆったり気分。
1階の吹き抜けのロビーでバイキング形式の朝食は、思い思いのテーブルを囲み談笑する、これものんびりムードの人達。
てんこ盛りしたフルーツにヨーグルト、パン、様々な種類のお茶にコーヒーなど。在り来たりのメニューではあるけれど、都会だけあって、その種類が格段に多くて、見たことのないパッションフルーツに似た果物など等。
フルーツに目がない私にとっては3つ。
今日の予定は特に決めていないので、取り敢えず午前中は思い思いに過ごすのも良いかということで、私は一人スケッチブックを抱えて街に繰り出しました。
インカの首都だったクスコ。路地のあちこちにインカの石積みが残り、赤瓦の街なみ、なかなかの風情があり絵心をくすぐるのです。
あてずっぽうに坂を上り、赤瓦を見下ろすあたりで、何枚目かを描き始めた頃、雨がポツリポツリときて、最初は水性のペンが適度に滲んで良い感じ。
その内には線が「あぁっ」流れ真っ黒になってしまう~~
「もう、折角ノッてきたところなのにぃ~」
仕方なく大慌てで引き上げ、アルマス広場に到着したころには土砂降り状態。
建物の脇から滝のような水が落ちて、さすがに人々は雨宿り。
待ち合わせ時間にはまだ早いし、どうしようかと見回した目の先に何かレトロなバスが止まっていて、観光客がゾロゾロと降りてくる。
ガイド付き市内観光のバスでした。
←雨のアルマス広場
値段もお手頃(約300円)だったし、所要時間1時間20分は今からだと集合時間ギリギリかぁ。
ちょっと引っかかったけれど、ま、この雨の中、他にチョイスは無いと判断。
←この渋滞には那覇も真っ青!
バスはヒストリカル地区、新市街を廻り、山の頂に立ってクスコの街を見下ろしているスタチューの立つ公園でしばし撮影タイム。
最後にバスの博物館に着く頃には集合時間が迫り、早く終らないかとハラハラのし通しで、ちっとも説明が耳に入ってこない。(英語のせいもありました、ハイ)
恐る恐るガイドに聞くと、1時にアルマス広場到着だとか。
所要時間ではなく、到着時間を聞くべきだった・・・はぁ~~
結局30分オーバーで集合場所のホテルのロビーに駆け込むと、ソファーに座っていた二人の周りには不穏なオーラが。
Fさんは私が誰かに拉致されたのでは、と本気で心配していたらしい。
かたや何も言わないKさん・・
大汗かいたのは走ったせいばかりではなく、ホントすんません!
遅めのランチは、Fさんの「カレーを食べたい!」との一声で、二人が街歩きで見つけたという日系人の経営するレストランに行ってみることに。外の看板にカレーライスの写真があったらしい。
その店は、広場の一角にあって中に入ると、日本語が飛び交っている。
そこいら中の日本人が皆集まったのかしら、と思われるぐらい沢山いましたぁ。
メニューの写真から「カレーらしき」ものとサラダがセットになったランチを注文。
まもなく出てきたのは、見かけはカレーっぽいけど何かのクリーム煮がご飯にかかっている食べ物。カレーの味は全くしない「カレーもどき」の味はそこそこ。
お腹を満たした後は、再び街ブラ。ガイドブックにあったインカ時代の石垣を見学しにブラブラ。
ホントに、すごかったデス。12角の石がぴったりと収まっている石積みの技術。一般に「カミソリの刃も通さない程の精密さ」と言われているようです。
我が家のアプローチにある石垣、隙間の部分をセメントを詰めて誤魔化してあるのとは天と地の差。誰の作品かって?
同じ人間業とは思えないですよねー。
←14角というのもありました
夕飯は、日本人の私たちには野菜不足が深刻で、中華料理に決定。
これも昼間2人が見つけておいたという中華料理店(食べ物屋探しをしていたのかぃ)の方角に向かうものの、昼間と夜は街の様相が一変、薄暗い街中大勢の人が行き交い、なかなか目的地にたどり着かない。
「此処だっ!」と入った店も、「なんだか雰囲気が違うー」とオーダー直前に店を出て、再び探すことに。なかなかのこだわりですぅ。
行き交う人に聞いても「中華料理?うん、あそこにあるヨ」と、さっき出てきた店を指す。
また引き返すのもためらわれるし、宿の方角に戻る途中、お、“Chinese”の看板。
ショーケースの中に飾られているサンプルは確かに「中華料理」。でも、何となく中華の店とは雰囲気が違ってる・・・ピンクやブルーの照明だし・・・。
入口でしばらく躊躇したものの、お腹の虫は騒ぐし、スペイン系のカップルが入っていったのを契機に、「ま、良いわね。何てったって天下の「中華料理」だもの。
しかし、そこはいまだかつて経験した事のない「??料理」だったのです。
オーソドックスなチキンワンタンスープとチャーハン、野菜炒めの大皿を注文。
しばらく待たされ出てきたものを見ると、「ま、こんなものか」・・・口に入れてみるまでは・・・。
ワンタンスープには有り得ない生っぽいピーマンのざく切が入っているわ、白菜といったら根っこ部分の切れ端がゴロリ、ワンタンは団子の様に固まっている。
チャーハンときたら独特の香辛料が入っていて、中華料理のホッコリした風味は無く、全くの別物。
かろうじて食べられたのは、甘辛い野菜の炒め物。
完食をモットーとする私達が半分以上残してしまった・・・恐るべし「中華料理もどき」
思い返せば、クスコでは食べ物ではあまり良い印象は無かったような・・・
私たち、特別な物を期待してる訳ではないのですけどね。
これから行く海辺の町に期待をするかぁ。
次回に続く。
朝8時に起床、久々のゆったり気分。
1階の吹き抜けのロビーでバイキング形式の朝食は、思い思いのテーブルを囲み談笑する、これものんびりムードの人達。
てんこ盛りしたフルーツにヨーグルト、パン、様々な種類のお茶にコーヒーなど。在り来たりのメニューではあるけれど、都会だけあって、その種類が格段に多くて、見たことのないパッションフルーツに似た果物など等。
フルーツに目がない私にとっては3つ。
今日の予定は特に決めていないので、取り敢えず午前中は思い思いに過ごすのも良いかということで、私は一人スケッチブックを抱えて街に繰り出しました。
インカの首都だったクスコ。路地のあちこちにインカの石積みが残り、赤瓦の街なみ、なかなかの風情があり絵心をくすぐるのです。
あてずっぽうに坂を上り、赤瓦を見下ろすあたりで、何枚目かを描き始めた頃、雨がポツリポツリときて、最初は水性のペンが適度に滲んで良い感じ。
その内には線が「あぁっ」流れ真っ黒になってしまう~~
「もう、折角ノッてきたところなのにぃ~」
仕方なく大慌てで引き上げ、アルマス広場に到着したころには土砂降り状態。
建物の脇から滝のような水が落ちて、さすがに人々は雨宿り。
待ち合わせ時間にはまだ早いし、どうしようかと見回した目の先に何かレトロなバスが止まっていて、観光客がゾロゾロと降りてくる。
ガイド付き市内観光のバスでした。
←雨のアルマス広場
値段もお手頃(約300円)だったし、所要時間1時間20分は今からだと集合時間ギリギリかぁ。
ちょっと引っかかったけれど、ま、この雨の中、他にチョイスは無いと判断。
←この渋滞には那覇も真っ青!
バスはヒストリカル地区、新市街を廻り、山の頂に立ってクスコの街を見下ろしているスタチューの立つ公園でしばし撮影タイム。
最後にバスの博物館に着く頃には集合時間が迫り、早く終らないかとハラハラのし通しで、ちっとも説明が耳に入ってこない。(英語のせいもありました、ハイ)
恐る恐るガイドに聞くと、1時にアルマス広場到着だとか。
所要時間ではなく、到着時間を聞くべきだった・・・はぁ~~
山の上の演奏していた→
←山の上までカーペットを敷き詰めたように家がびっしり結局30分オーバーで集合場所のホテルのロビーに駆け込むと、ソファーに座っていた二人の周りには不穏なオーラが。
Fさんは私が誰かに拉致されたのでは、と本気で心配していたらしい。
かたや何も言わないKさん・・
大汗かいたのは走ったせいばかりではなく、ホントすんません!
遅めのランチは、Fさんの「カレーを食べたい!」との一声で、二人が街歩きで見つけたという日系人の経営するレストランに行ってみることに。外の看板にカレーライスの写真があったらしい。
その店は、広場の一角にあって中に入ると、日本語が飛び交っている。
そこいら中の日本人が皆集まったのかしら、と思われるぐらい沢山いましたぁ。
メニューの写真から「カレーらしき」ものとサラダがセットになったランチを注文。
まもなく出てきたのは、見かけはカレーっぽいけど何かのクリーム煮がご飯にかかっている食べ物。カレーの味は全くしない「カレーもどき」の味はそこそこ。
お腹を満たした後は、再び街ブラ。ガイドブックにあったインカ時代の石垣を見学しにブラブラ。
ホントに、すごかったデス。12角の石がぴったりと収まっている石積みの技術。一般に「カミソリの刃も通さない程の精密さ」と言われているようです。
我が家のアプローチにある石垣、隙間の部分をセメントを詰めて誤魔化してあるのとは天と地の差。誰の作品かって?
同じ人間業とは思えないですよねー。
←14角というのもありました
夕飯は、日本人の私たちには野菜不足が深刻で、中華料理に決定。
これも昼間2人が見つけておいたという中華料理店(食べ物屋探しをしていたのかぃ)の方角に向かうものの、昼間と夜は街の様相が一変、薄暗い街中大勢の人が行き交い、なかなか目的地にたどり着かない。
「此処だっ!」と入った店も、「なんだか雰囲気が違うー」とオーダー直前に店を出て、再び探すことに。なかなかのこだわりですぅ。
行き交う人に聞いても「中華料理?うん、あそこにあるヨ」と、さっき出てきた店を指す。
また引き返すのもためらわれるし、宿の方角に戻る途中、お、“Chinese”の看板。
ショーケースの中に飾られているサンプルは確かに「中華料理」。でも、何となく中華の店とは雰囲気が違ってる・・・ピンクやブルーの照明だし・・・。
入口でしばらく躊躇したものの、お腹の虫は騒ぐし、スペイン系のカップルが入っていったのを契機に、「ま、良いわね。何てったって天下の「中華料理」だもの。
しかし、そこはいまだかつて経験した事のない「??料理」だったのです。
オーソドックスなチキンワンタンスープとチャーハン、野菜炒めの大皿を注文。
しばらく待たされ出てきたものを見ると、「ま、こんなものか」・・・口に入れてみるまでは・・・。
ワンタンスープには有り得ない生っぽいピーマンのざく切が入っているわ、白菜といったら根っこ部分の切れ端がゴロリ、ワンタンは団子の様に固まっている。
チャーハンときたら独特の香辛料が入っていて、中華料理のホッコリした風味は無く、全くの別物。
かろうじて食べられたのは、甘辛い野菜の炒め物。
完食をモットーとする私達が半分以上残してしまった・・・恐るべし「中華料理もどき」
思い返せば、クスコでは食べ物ではあまり良い印象は無かったような・・・
私たち、特別な物を期待してる訳ではないのですけどね。
これから行く海辺の町に期待をするかぁ。
次回に続く。
Posted by よさこい at
18:30
│Comments(0)
2012年07月29日
壮大なる南米紀行(マチュピチュークスコ)
4月11日(水曜日)
“天空の都市”を堪能した私達、午後の列車でクスコに帰ります。
午前中はのんびりとマチュピチュ村の散策。温泉があるというので行ってみることに。
両脇に土産物店が並ぶ上り坂をだらだらと登りきったところにHOTSPRINGの地味~な看板が。
屋外のプールに水着を着た人達が浸かっている写真がボードに貼ってありました。
人のいない小さな小屋が建っていて、これが入り口らしい。
心を動かされはしたものの、私たち列車の重量制限(5kg)を生真面目に守り、水着を置いてきてしまったのです。
因みに、列車に乗る際、重量に関してのチェックは全く無く、大きなバックパックを担いた人がいたり、テントの部材らしい大きな荷物を持った人もいたり・・・。たかだか水着を諦めた私達、何だったんだろ??
残念な気持ちをグッと抑え、再び街の散策。
奥まった高い場所に在りました「住人のエリア」。
生徒は見えなかったけど学校まであり、そこを中心に食料、日用品店、レストランなどが並ぶ通り。レストランのメニューを覗いてみると、観光客エリアの二分の一の値段!「昨日ここまで来るべきだったねー」と反省しつつ、ベーカリーでパンを買い、昨日行ったスーパーで、またまた豚肉の塊をゲット。
私たち、此処まできて思い切り主婦してるーっ。
P.M2:20発のクスコへの列車はビスタドームで、来るときのエクスペディションに比べ3割弱高い「一番人気」だという列車。
飲み物、おつまみの様なものが「お盆」に乗ってサービスされ、等級の違いを主張しているふうではあります。
そして車内パフォーマンスに、仮面を被った民芸ダンス(ペルー版獅子舞)や、男女の乗務員によるファッションショーのサービス。
モデルの男性がなかなかのイケメンで、後で回ってきた車内販売では、彼の着たアルパカのセーターなど結構売れていましたね。
グッドアイディア!乗客層を考えると、エクスペディションには無かったわけだ。
隣り合わせになったベネズエラから来たというグループ旅行のおばさん、男性モデルを指して「日本人に似てるわね」って。
「う~ん」、彼女の日本人印象は、ちょっと親日過ぎるのでは?
あれだけのルックスは滅多にいないし~、少なくとも私の周り。
このにこやかなおばさん、東京―京都など3週間をかけて旅行した事があり、3.11の時は「涙が止まらなかった」と言っていました。
確かに日本は、こんな結構身なりの良い人達にとって、その安全性、サービスの充実度、クリーンな印象は魅力的な観光地なのかもしれませんねー。
オリャンタイタンボに大型バスが待っていて、この時期(雨期)にはクスコまでバスで行きます。
来るときの「ハラハラドキドキ」は全く無くて、情緒の安定したドライバーの御陰で、無事クスコのワンチャク駅に着きました。
クスコプラザで預けてあった荷物をピックアップ、新しい宿“Inti Wai”に到着したのは8:00P・M。
中心広場に近く、抜群のロケーションのその宿は、吹き抜けのロビーの二階部分に客室がぐるっと取り巻いているなかなか立派な建物。
ロビーには夜にもかかわらず、予約していない部屋探しの人々で溢れていて、何とか部屋を確保しようと必死の様相でした。
その人達を横目に、案内された部はなかなか整っていて、これならお湯の心配もいらないでしょ。
←私のベッドの真上が天窓になっていて、三日月が良くみえた。
今夜からは特別なスケジュールもなくクスコで2泊の予定なので、かなりゆったりの気分。
美味しいものを食べてエネルギーの補給しよう。
次回に続く。
[7・26]
また一年が経ちました。
いつもの様に、夫とラスティと全員でカヤックを漕ぎ出し、娘に会いにでかけました。
ところが、出航の時には申し分ない天気だったのが、アウターリーフを越えたあたりで急に雲行きが怪しくなり、終には大粒の雨が!
波まで高くなりカヤックが木の葉のように波にもてあそばれるようになって、顕花などの儀式もそこそこ夫の判断で引き返すことになりました。
もう少し海上で話をしていたかったのに・・・皮肉にも陸に着く頃には雨もおさまり、もとの穏やかな天気になったのです。
時が経ち、娘のことを想う時間も少なくなった現在、きっとヘソを曲げられたのでは、と反省。
ビーチでしばらく波と戯れて、今年の追悼の儀は終わりました。
“天空の都市”を堪能した私達、午後の列車でクスコに帰ります。
午前中はのんびりとマチュピチュ村の散策。温泉があるというので行ってみることに。
両脇に土産物店が並ぶ上り坂をだらだらと登りきったところにHOTSPRINGの地味~な看板が。
屋外のプールに水着を着た人達が浸かっている写真がボードに貼ってありました。
人のいない小さな小屋が建っていて、これが入り口らしい。
心を動かされはしたものの、私たち列車の重量制限(5kg)を生真面目に守り、水着を置いてきてしまったのです。
因みに、列車に乗る際、重量に関してのチェックは全く無く、大きなバックパックを担いた人がいたり、テントの部材らしい大きな荷物を持った人もいたり・・・。たかだか水着を諦めた私達、何だったんだろ??
残念な気持ちをグッと抑え、再び街の散策。
奥まった高い場所に在りました「住人のエリア」。
生徒は見えなかったけど学校まであり、そこを中心に食料、日用品店、レストランなどが並ぶ通り。レストランのメニューを覗いてみると、観光客エリアの二分の一の値段!「昨日ここまで来るべきだったねー」と反省しつつ、ベーカリーでパンを買い、昨日行ったスーパーで、またまた豚肉の塊をゲット。
私たち、此処まできて思い切り主婦してるーっ。
P.M2:20発のクスコへの列車はビスタドームで、来るときのエクスペディションに比べ3割弱高い「一番人気」だという列車。
飲み物、おつまみの様なものが「お盆」に乗ってサービスされ、等級の違いを主張しているふうではあります。
そして車内パフォーマンスに、仮面を被った民芸ダンス(ペルー版獅子舞)や、男女の乗務員によるファッションショーのサービス。
モデルの男性がなかなかのイケメンで、後で回ってきた車内販売では、彼の着たアルパカのセーターなど結構売れていましたね。
グッドアイディア!乗客層を考えると、エクスペディションには無かったわけだ。
隣り合わせになったベネズエラから来たというグループ旅行のおばさん、男性モデルを指して「日本人に似てるわね」って。
「う~ん」、彼女の日本人印象は、ちょっと親日過ぎるのでは?
あれだけのルックスは滅多にいないし~、少なくとも私の周り。
このにこやかなおばさん、東京―京都など3週間をかけて旅行した事があり、3.11の時は「涙が止まらなかった」と言っていました。
確かに日本は、こんな結構身なりの良い人達にとって、その安全性、サービスの充実度、クリーンな印象は魅力的な観光地なのかもしれませんねー。
オリャンタイタンボに大型バスが待っていて、この時期(雨期)にはクスコまでバスで行きます。
来るときの「ハラハラドキドキ」は全く無くて、情緒の安定したドライバーの御陰で、無事クスコのワンチャク駅に着きました。
3日振りのクスコの町→
クスコプラザで預けてあった荷物をピックアップ、新しい宿“Inti Wai”に到着したのは8:00P・M。
中心広場に近く、抜群のロケーションのその宿は、吹き抜けのロビーの二階部分に客室がぐるっと取り巻いているなかなか立派な建物。
ロビーには夜にもかかわらず、予約していない部屋探しの人々で溢れていて、何とか部屋を確保しようと必死の様相でした。
その人達を横目に、案内された部はなかなか整っていて、これならお湯の心配もいらないでしょ。
←私のベッドの真上が天窓になっていて、三日月が良くみえた。
今夜からは特別なスケジュールもなくクスコで2泊の予定なので、かなりゆったりの気分。
美味しいものを食べてエネルギーの補給しよう。
次回に続く。
[7・26]
また一年が経ちました。
いつもの様に、夫とラスティと全員でカヤックを漕ぎ出し、娘に会いにでかけました。
ところが、出航の時には申し分ない天気だったのが、アウターリーフを越えたあたりで急に雲行きが怪しくなり、終には大粒の雨が!
波まで高くなりカヤックが木の葉のように波にもてあそばれるようになって、顕花などの儀式もそこそこ夫の判断で引き返すことになりました。
もう少し海上で話をしていたかったのに・・・皮肉にも陸に着く頃には雨もおさまり、もとの穏やかな天気になったのです。
時が経ち、娘のことを想う時間も少なくなった現在、きっとヘソを曲げられたのでは、と反省。
ビーチでしばらく波と戯れて、今年の追悼の儀は終わりました。
Posted by よさこい at
15:50
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2012年07月24日
壮大なる南米紀行(マチュピチュの一日)
4月10日(火曜日)
早朝6:30のシャトルバスでマチュピチュに、いざいざ。
シャトルバスと言えど、しっかりとお金を取るのです。往復約1500円。
所要時間25分というマチュピチュへの道。(歩くと約2時間かかるとどこかのブログに書いてあったなー。)
車一台でいっぱいの狭い山道、途中何台ものバスにすれ違うけど慣れたもので、バックしたりギリギリですり抜ける。
周りの景色に圧倒されて、身の危険を感じる暇はありませんでした。
切り立った山肌が眼前に迫り、雲の中をくぐり抜けるとまたまた山がぬっと現れる。
入口に着き、昨日村で買っておいた入場券128ソーレス(約4000円弱)をパスポートと共に提示します。
此処でちょっとしたトラブル、何か手こずっているようなKさん
「パスポートが無い!」と言うのです。
バックパックをひっくり返して皆で探しても、無い~~!
私達の連れという事で、何とか入れてもらおうと、まず私のパスポートを胸ポケットから出し・・・「ん?」
1冊出して見せたのに、まだポケットに1冊残っている!?
と、ゲートのお兄さんがパスポートの写真と私の顔を見比べて、怪訝な顔。
何と、提示したのはKさんの物で、ポケットに残っているのが私のパスポートだったのです!
つまり、私の胸ポケットには二冊のパスポートが入っていた訳。
何と許容量の大きなポケット・・・なんて話ではなく、一体いつ潜り込んだのか・・・
そーか、最後に使ったのは、昨日チケットを購入した際。まとめて買ったので、その時に返し忘れていたらしい・・・
は、は。取り敢えず解決して良かったよかった。
後で聞いたところでは、Kさん、健気にも一人で外で待っていようと思ったとか。
さて、いよいよ入山。マチュピチュ全容のガイドブックを持っていたので、まず歩くコースのチョイス。数千人が住んでいたという街、結構広いのです。効率よく歩かなければ。
まずは“見張り小屋”、町を一望できる場所です。結構な上り坂を数分間。
途中、大汗をかいて下った来た小錦張りの巨漢に「上の方の景色は?」と聞くと、「nothing!」。
上に登るに従い、雨こそ降っていないけれど、濃いガスがかかっていて、数メートル先も見えなくなってきました。
嫌が応にもテンションは下がり気味。
こうなったら、晴れ女3人のパワーに希望を託すしかない。
取り敢えず前に進むことにして最後の坂を登りきったところ、何とガスが晴れてきて、あのなんどもテレビや本で見てきたマチュピチュの全貌が姿を現してきたのです!
神秘に包まれ、何世紀もの間そこに横たわるインカの遺跡、圧倒的な存在感!
何が凄いって、周りの雲に包まれた、切り立った山々と深い谷。背後には一段と高いワイナピチュがそびえマチュピチュを見守っているかの様です。
ふ~む、これが「天空の都市」と呼ばれる所以なのね―。
言葉もなくしばらくの間立ち尽くした後、石段を降って町の方に降りていく頃には青空が覗いてきました。
各施設は狭い石段で繋がれていて、これが結構キツイのです。インカの人達よっぽどの健脚だったはず。
ガイドブックを手に、にわかガイドが説明文を読みあげ、「ふ~ん」と皆納得。
時には英語ガイドの話を盗み聞きしたりしながら、遺跡をめぐりました。
巨大な石の建築、その精密な加工技術は、何世紀を経た今でも何の遜色も無く、そしてこの高地に住むための色んな生活の工夫、(張り巡らされた水路等)にただただ感動。インカの人々の高度な知恵に畏敬の念を禁じ得ませんでしたねー。
途中、人の来ない見晴らしの良い場所で、石垣に腰をおろし用意してきたランチを広げました。
果物とキヌアを固めたお菓子のような物、バナナ。後はこの風景をご馳走に、水分はなるべく控え目。
何せこの広大な遺跡の中にはトイレと言うものが無いのです。途中で催すと、一度入口を出なくてはいけない、それ程までにこの地は守られているという事か。オバサンには辛い。
途中で30名程の日本人の旅行者団体に遭遇。日本語を話すガイドを先頭に、通路を行列していましたが、先頭の人はともかく後方の人達、サッパリでしょう。1時間ぐらいで引き上げた様子。あれでは「行って来たよ」としか言えないでしょう。そう言えば、これから“ナスカの地上絵”を見に行くのだと言っていました。忙しそうね―。
雨が降ってきて雨宿りを含め、結局、私達の滞在時間は7時間にもなりました。
高い入場料の元はすっかり取った気分。
夕方宿に着いて、シャワーを浴びる段になり、KさんとFさん、ジャンケンで順番を決める事に。
と言うのも一昨日、オリャンタイタンボで最初に入った私、湯が出なくて冷たいシャワーで震え上がった犠牲者1号。
今日は先に確かめる役を決める訳です。
結局、Kさんが先鋒。最初は「出るよ~」とご機嫌な声だったのが、しばらくして
「ギャ~!」というわめき声。
体にバスタオルを巻き、頭にはシャンプーの泡を付けたKさんが飛び出してきて
「湯が出ない~!!」
犠牲者2号。
結局、Kさんを除く二人は別の部屋のシャワールームを使わせてもらって、事無きを得ましたー。
めでたしめでたし。
次回に続く。
[今年のバナナ]
やたら元気な我が家のバナナ。自慢げに言うと、周り中「今年はバナナが豊作」なのだとか。
気温は安定していて、雨は適度に降り、「いい夏」なのですよ、今年今のところは。
早朝6:30のシャトルバスでマチュピチュに、いざいざ。
シャトルバスと言えど、しっかりとお金を取るのです。往復約1500円。
所要時間25分というマチュピチュへの道。(歩くと約2時間かかるとどこかのブログに書いてあったなー。)
車一台でいっぱいの狭い山道、途中何台ものバスにすれ違うけど慣れたもので、バックしたりギリギリですり抜ける。
周りの景色に圧倒されて、身の危険を感じる暇はありませんでした。
切り立った山肌が眼前に迫り、雲の中をくぐり抜けるとまたまた山がぬっと現れる。
入口に着き、昨日村で買っておいた入場券128ソーレス(約4000円弱)をパスポートと共に提示します。
此処でちょっとしたトラブル、何か手こずっているようなKさん
「パスポートが無い!」と言うのです。
バックパックをひっくり返して皆で探しても、無い~~!
私達の連れという事で、何とか入れてもらおうと、まず私のパスポートを胸ポケットから出し・・・「ん?」
1冊出して見せたのに、まだポケットに1冊残っている!?
と、ゲートのお兄さんがパスポートの写真と私の顔を見比べて、怪訝な顔。
何と、提示したのはKさんの物で、ポケットに残っているのが私のパスポートだったのです!
つまり、私の胸ポケットには二冊のパスポートが入っていた訳。
何と許容量の大きなポケット・・・なんて話ではなく、一体いつ潜り込んだのか・・・
そーか、最後に使ったのは、昨日チケットを購入した際。まとめて買ったので、その時に返し忘れていたらしい・・・
は、は。取り敢えず解決して良かったよかった。
後で聞いたところでは、Kさん、健気にも一人で外で待っていようと思ったとか。
さて、いよいよ入山。マチュピチュ全容のガイドブックを持っていたので、まず歩くコースのチョイス。数千人が住んでいたという街、結構広いのです。効率よく歩かなければ。
まずは“見張り小屋”、町を一望できる場所です。結構な上り坂を数分間。
途中、大汗をかいて下った来た小錦張りの巨漢に「上の方の景色は?」と聞くと、「nothing!」。
上に登るに従い、雨こそ降っていないけれど、濃いガスがかかっていて、数メートル先も見えなくなってきました。
嫌が応にもテンションは下がり気味。
こうなったら、晴れ女3人のパワーに希望を託すしかない。
取り敢えず前に進むことにして最後の坂を登りきったところ、何とガスが晴れてきて、あのなんどもテレビや本で見てきたマチュピチュの全貌が姿を現してきたのです!
神秘に包まれ、何世紀もの間そこに横たわるインカの遺跡、圧倒的な存在感!
何が凄いって、周りの雲に包まれた、切り立った山々と深い谷。背後には一段と高いワイナピチュがそびえマチュピチュを見守っているかの様です。
ふ~む、これが「天空の都市」と呼ばれる所以なのね―。
言葉もなくしばらくの間立ち尽くした後、石段を降って町の方に降りていく頃には青空が覗いてきました。
各施設は狭い石段で繋がれていて、これが結構キツイのです。インカの人達よっぽどの健脚だったはず。
ガイドブックを手に、にわかガイドが説明文を読みあげ、「ふ~ん」と皆納得。
時には英語ガイドの話を盗み聞きしたりしながら、遺跡をめぐりました。
巨大な石の建築、その精密な加工技術は、何世紀を経た今でも何の遜色も無く、そしてこの高地に住むための色んな生活の工夫、(張り巡らされた水路等)にただただ感動。インカの人々の高度な知恵に畏敬の念を禁じ得ませんでしたねー。
途中、人の来ない見晴らしの良い場所で、石垣に腰をおろし用意してきたランチを広げました。
果物とキヌアを固めたお菓子のような物、バナナ。後はこの風景をご馳走に、水分はなるべく控え目。
何せこの広大な遺跡の中にはトイレと言うものが無いのです。途中で催すと、一度入口を出なくてはいけない、それ程までにこの地は守られているという事か。オバサンには辛い。
途中で30名程の日本人の旅行者団体に遭遇。日本語を話すガイドを先頭に、通路を行列していましたが、先頭の人はともかく後方の人達、サッパリでしょう。1時間ぐらいで引き上げた様子。あれでは「行って来たよ」としか言えないでしょう。そう言えば、これから“ナスカの地上絵”を見に行くのだと言っていました。忙しそうね―。
雨が降ってきて雨宿りを含め、結局、私達の滞在時間は7時間にもなりました。
高い入場料の元はすっかり取った気分。
夕方宿に着いて、シャワーを浴びる段になり、KさんとFさん、ジャンケンで順番を決める事に。
と言うのも一昨日、オリャンタイタンボで最初に入った私、湯が出なくて冷たいシャワーで震え上がった犠牲者1号。
今日は先に確かめる役を決める訳です。
結局、Kさんが先鋒。最初は「出るよ~」とご機嫌な声だったのが、しばらくして
「ギャ~!」というわめき声。
体にバスタオルを巻き、頭にはシャンプーの泡を付けたKさんが飛び出してきて
「湯が出ない~!!」
犠牲者2号。
結局、Kさんを除く二人は別の部屋のシャワールームを使わせてもらって、事無きを得ましたー。
めでたしめでたし。
次回に続く。
[今年のバナナ]
やたら元気な我が家のバナナ。自慢げに言うと、周り中「今年はバナナが豊作」なのだとか。
気温は安定していて、雨は適度に降り、「いい夏」なのですよ、今年今のところは。
Posted by よさこい at
13:16
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2012年07月18日
壮大なる南米紀行(オリャンタイタンボ―マチュピチュ村)
4月9日(月曜日)
いよいよこの旅の最大のハイライト、マチュピチュに向かうぞぉー。
この列車、ハイシーズンには数ヶ月前から予約が必要な程の人気路線だとか。
PERURAILって何だかかっこいい。
3段階の階級別で、1番の豪華版は“ハイラム・ビンガム”次に“ビスタドーム”、3番目は通称“バックパッカー”と呼ばれる片道US$.48のエコノミー列車。因みに“ハイラム・ビンガム”との料金差は6倍以上。
今日は3番目の列車を検証します。
昨日確認しておいたステーションに徒歩で余裕の到着。
ホームは流石に観光客で溢れて、これから行くところが注目の世界遺産だということで、嫌が応にも気分は
列車は8時53分発、10時26分着とチケットに表示されている。
何だろ、この細さは??日本なら分かるけど、「ペルー時間」って沖縄の「うちなータイム」と良い勝負だったはず―。
線路の上でチケットを見せ、指定席に。うん、想像していたより広々としていい感じ。天井にhは窓が開いているし。
中腹に雲がかかった切り立った山々の間を縫い、濁流の舞う川に沿って走る。
マチュピチュといえば、山の奥で何となく高い所だというイメージがあるけれど、下流にむかっているのはクスコ(標高3400m)に比べマチュピチュはかなり低い(標高2280m)位置にあるから。1000m降るのかぁ・・・
約2時間の列車の旅はなかなか快適で、車内サービスにはバックパッカーといえど、飲み物とクッキー付。
マチュピチュ村に到着でーす。
ホームを出るなり土産物に取り囲まれる。そのビッチリ並んだ迷路のようなテントの中を歩いて橋を渡り、やっとこさ村の広場に。
村のインフォメーションの対応は流石に慣れたもので、地図、マチュピチュ行きのバス、入園チケット売り場の情報を全てゲット。
村は徒歩で全て事が足りるというコンパクトさで、線路沿いにホテルと食堂、土産物店がこれまたビッチリと軒を連ね、というか、それしか無い。住民の人達はいったいどこに??
予約してあったALDASホテルもすぐに見つかりました。
まず、部屋に入って昨夜の残り物を広げてランチ。
いまいましいCUYの残りと、魚のフライを朝ホテルでゲットしたパンに挟んで、サンドイッチに。
他の二人の拒否をモノともせず、CUYをここまで持ってきたKさんは、ネパールの奥地や、モロッコとかでサバイバル旅行の経験があり、結構平気なのですねー「ゲ・テ・モ・ノ」
出費ゼロのお昼を済ませ、村を散策がてら次の日のホテルを探します。
3~4のホテルを渡り歩いた結果、1番最初に見た“AIKO”というホテルにUターン。オーナーの奥さんの父親が日系2世だという。
期待した日本語は一切ダメ。それでも120ソーレス(約3700円)の部屋代を20ソーレス(約600円)値切り、交渉成立。
交渉は主に私がやるのです。ヤバ、いよいよ「沖縄オバー」の本性発揮か・・・ハハ・・
←村の広場で警官の点呼
明日の早朝マチュピチュに行くので、今日は一日村歩き。
ショッピングをしながらブラブラしていると、村の外れに唯一、地元の人達のたむろする一軒のスーパーを見つけました。
果物や肉などの食料から、日用品まで何でも置いてある。観光客の姿は無く、値段は「外の世界」と比べ格段に安い!
店全体に漂うごっちゃな匂いが少々鼻についたけれど・・・。
インディオのオバサン達が野菜や果物を目の前に広げて談笑している。
初めて見る果物、「味見しても?」と聞くと、無造作に1個を手に取り割っててくれた。ザクロのような果物で、味は・・・
バナナやマンゴー(80円!)を仕入れ、出口に向かうと、カウンター付近で何やら人だかり。覗いてみると、肉の大きな塊がいくつか載っているいる大皿を前にして、お食事中。豚肉の骨付き肉が3~4個とホワイトコーン、玉ねぎ、ポテトをてんこ盛りにしたプレート。
「お、美味しそ―!」
カウンターの中のおばさん、大鍋で揚げた肉塊と野菜を無造作に大皿にガバっと盛り付ける。そのスピーディなことと言ったら・・・。
値段は一皿10ソーレス(約300円)也!裕に3人分はあるし~、本日のディナーは決まり!
揚げたてをホテルの部屋に持ち込み、仕入れた果物とで一人約200円のリッチな夕食と相成りました。
豚肉は大きくて食べごたえがあり、満足、満足。
さらに買い物の成果をベッドに並べ、あーだこーだ。いくら値切ったとか、あっちの店がより安かっただの・・・。
大満足の一日ではありました。
しかしお二人とも、日本では結構優雅な生活を送っていらっしゃる面々なのに、このケチケチぶりって・・・どうもクセになるものらしい。
次回に続く。
[海洋博公園の花火大会]
大宜味村に住むSさんのモーターボートで、海洋博公園の花火見物に行ってきました。
ただ、勢い込んで出航したものの着くまでに結構時間がかかり、会場に接近出来ず終い。
遠くに見える花火にエールを送ったことでしたー
でも、もちろんSさんとご主人の船長には感謝!
持ち寄りの船上パーティーはGoodでしたねー
贅沢なひと時を、有難うございました。
いよいよこの旅の最大のハイライト、マチュピチュに向かうぞぉー。
この列車、ハイシーズンには数ヶ月前から予約が必要な程の人気路線だとか。
PERURAILって何だかかっこいい。
3段階の階級別で、1番の豪華版は“ハイラム・ビンガム”次に“ビスタドーム”、3番目は通称“バックパッカー”と呼ばれる片道US$.48のエコノミー列車。因みに“ハイラム・ビンガム”との料金差は6倍以上。
今日は3番目の列車を検証します。
ホームにはインディオの物売り、帽子を売るのに重ねて被ってる、成る程→
昨日確認しておいたステーションに徒歩で余裕の到着。
ホームは流石に観光客で溢れて、これから行くところが注目の世界遺産だということで、嫌が応にも気分は
列車は8時53分発、10時26分着とチケットに表示されている。
何だろ、この細さは??日本なら分かるけど、「ペルー時間」って沖縄の「うちなータイム」と良い勝負だったはず―。
線路の上でチケットを見せ、指定席に。うん、想像していたより広々としていい感じ。天井にhは窓が開いているし。
中腹に雲がかかった切り立った山々の間を縫い、濁流の舞う川に沿って走る。
マチュピチュといえば、山の奥で何となく高い所だというイメージがあるけれど、下流にむかっているのはクスコ(標高3400m)に比べマチュピチュはかなり低い(標高2280m)位置にあるから。1000m降るのかぁ・・・
約2時間の列車の旅はなかなか快適で、車内サービスにはバックパッカーといえど、飲み物とクッキー付。
ウルバンバ川、先はアマゾン川に合流する
マチュピチュ村に到着でーす。
ホームを出るなり土産物に取り囲まれる。そのビッチリ並んだ迷路のようなテントの中を歩いて橋を渡り、やっとこさ村の広場に。
村のインフォメーションの対応は流石に慣れたもので、地図、マチュピチュ行きのバス、入園チケット売り場の情報を全てゲット。
村は徒歩で全て事が足りるというコンパクトさで、線路沿いにホテルと食堂、土産物店がこれまたビッチリと軒を連ね、というか、それしか無い。住民の人達はいったいどこに??
予約してあったALDASホテルもすぐに見つかりました。
まず、部屋に入って昨夜の残り物を広げてランチ。
いまいましいCUYの残りと、魚のフライを朝ホテルでゲットしたパンに挟んで、サンドイッチに。
他の二人の拒否をモノともせず、CUYをここまで持ってきたKさんは、ネパールの奥地や、モロッコとかでサバイバル旅行の経験があり、結構平気なのですねー「ゲ・テ・モ・ノ」
濁流の音が村を覆う→
出費ゼロのお昼を済ませ、村を散策がてら次の日のホテルを探します。
3~4のホテルを渡り歩いた結果、1番最初に見た“AIKO”というホテルにUターン。オーナーの奥さんの父親が日系2世だという。
期待した日本語は一切ダメ。それでも120ソーレス(約3700円)の部屋代を20ソーレス(約600円)値切り、交渉成立。
交渉は主に私がやるのです。ヤバ、いよいよ「沖縄オバー」の本性発揮か・・・ハハ・・
←村の広場で警官の点呼
明日の早朝マチュピチュに行くので、今日は一日村歩き。
ショッピングをしながらブラブラしていると、村の外れに唯一、地元の人達のたむろする一軒のスーパーを見つけました。
果物や肉などの食料から、日用品まで何でも置いてある。観光客の姿は無く、値段は「外の世界」と比べ格段に安い!
店全体に漂うごっちゃな匂いが少々鼻についたけれど・・・。
インディオのオバサン達が野菜や果物を目の前に広げて談笑している。
初めて見る果物、「味見しても?」と聞くと、無造作に1個を手に取り割っててくれた。ザクロのような果物で、味は・・・
バナナやマンゴー(80円!)を仕入れ、出口に向かうと、カウンター付近で何やら人だかり。覗いてみると、肉の大きな塊がいくつか載っているいる大皿を前にして、お食事中。豚肉の骨付き肉が3~4個とホワイトコーン、玉ねぎ、ポテトをてんこ盛りにしたプレート。
「お、美味しそ―!」
カウンターの中のおばさん、大鍋で揚げた肉塊と野菜を無造作に大皿にガバっと盛り付ける。そのスピーディなことと言ったら・・・。
値段は一皿10ソーレス(約300円)也!裕に3人分はあるし~、本日のディナーは決まり!
揚げたてをホテルの部屋に持ち込み、仕入れた果物とで一人約200円のリッチな夕食と相成りました。
豚肉は大きくて食べごたえがあり、満足、満足。
さらに買い物の成果をベッドに並べ、あーだこーだ。いくら値切ったとか、あっちの店がより安かっただの・・・。
大満足の一日ではありました。
しかしお二人とも、日本では結構優雅な生活を送っていらっしゃる面々なのに、このケチケチぶりって・・・どうもクセになるものらしい。
次回に続く。
[海洋博公園の花火大会]
大宜味村に住むSさんのモーターボートで、海洋博公園の花火見物に行ってきました。
ただ、勢い込んで出航したものの着くまでに結構時間がかかり、会場に接近出来ず終い。
遠くに見える花火にエールを送ったことでしたー
でも、もちろんSさんとご主人の船長には感謝!
持ち寄りの船上パーティーはGoodでしたねー
贅沢なひと時を、有難うございました。
Posted by よさこい at
22:04
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2012年07月13日
壮大なる南米紀行(クスコ―オリャンタイタンボ)
4月8日(日曜日)
朝食は、結構リッチなバイキング。
ここ“クスコプラザ”はなかなか伝統のあるホテルらしい。
今日はコレクティーポ(乗合バス)でマチュピチュの途中の村オリャンタイタンボに向かいます。
次の日、マチュピチュ行きの列車に乗るわけですが、その際、荷物の重量制限(5キロ以内)があるらしい。
出発前に3泊分の荷物をバックパックに詰め、スーツケースなど大物はこのホテルに預けていくことにします。
このホテル、そんな客の要請には慣れたもので、荷物室もありタグを付けて保管してくれました。
身軽になった私達、意気揚々と乗合バスのターミナルに向け出発。
タクシーは下町の市場通りを通ってとある建物の隙間で私達を降ろし、ワット群がって来た客引きの男達、それぞれの乗り物で目的地に連れて行くと言う。
「お生憎さま」もう旅慣れた3婆、2~3倍の値段を支払う気は毛頭無しねー。
予定通りの9:00に出発したコレクティーポ(10人乗りのオンボロバン)、道中牧歌的な景色と遠くには雪をかぶった山々、標高3000メートルの尾根を走るので、谷は思い切り深い。車窓には高山特有の広大な素晴らしい風景が広がっています。
ところがぁ、私達には景色をのんびり鑑賞することは許されなかった。
道路は2車線で舗装はされているものの道幅はそれ程広くはなく、対向車がやっとすれ違える程度。
その山道をこのバンの運ちゃん、ムキになって突っ走るのですーー。
乗用車はもちろん、トラックは追い越すわ、対向車とのニアミスもぉ。
もう、もうハラハラし通し、終始身の縮む思いでひたすら手摺を握り締めていましたぁ。
きっとこれは運転手に何か不幸な事があって(恋人にフラれたとか)、そのウサ晴らしではないか・・・
それにしても私の人生、他人のウサ晴らしで命を落とす運命だったのか・・・
色んな事が頭の中を過ぎり、手に汗握る2時間の道中があっという間でした。
途中土砂崩れの修復工事の場所があり、20分ほど待たされたものの、予定時間よりかなり早く到着したのは言うまでもなく。
オリャンタイタンボはインカ帝国の砦を背景にした小さな町。中心の広場から全ての場所に歩いて行ける。
取り敢えず、予約してあったホステルに向うことにしました。
家族経営らしい中庭のある小さなホステル、満面の笑みでで迎えてくれたオーナー。
小さな女の子が案内してくれたのは3階のVIPルームでした。
広々としたトリプルのベッドに、窓からは近隣の建物の屋根越しにインカの砦が臨め、なかなかの居心地。
ただし、夜中に発生したトラブル、トイレの水が流れない事と、シャワーのお湯が出ない事を除けば・・・。
フロントのお兄さんは唯一英語が話せ、その笑顔は4つ★。情報集めに進んで協力してくれました。
「インカの砦、上まで登るのにはどのくらいかかるの?」との問いに、「行きが3時間、帰りは2時間ぐらい」と自信ありげに言う。
結果を言うと、私たちが行き帰りにかかった時間は、2時間にも満たないものでしたー。
一体どんな時間感覚?・・きっと麓にいて実際に登ったことが無いのでは。
この砦、印象に残ったのは、地上200メートル程のところに鎮座する、横10メートル高さ5メートルはあろうかという巨大な1枚岩。
きれいな四角に加工してある。一体どうやって、何のために???
遺跡について詳しくは、リンクを見てくださいねー。)
余った時間をそれぞれ自由に使うことにして、夕方ホテルで待ち合わせ。
私は此処に来て初めてスケッチブックの紐を解きました。
古代から流れるゆったりとした時間の中で、スケッチをしながら過ごす時間はまさに至福の時でしたねー。
カメラを忘れて行ったので画像がありませ~ん。あしからず。
あ、そうそ。その日のディナーのハプニング(?)を是非書いておかなくては。
かの4つ★お兄さんに、お勧めのレストランと料理を聞いたところ、横にあったメニューを開きハイテンションで勧めてくれたのは、「最高!」だという“クイ”と呼ばれるローカル料理。4時間程かかるので、事前の予約が必要だという。
「野菜が食べたいんだけど」とのリクエストには、「うん、うん、沢山入ってるよ」
4時間ぐらい煮込むという事と、野菜が沢山入っているとのことで、私達何かシチューの様な物を想像しました。メニューにはそれっぽい写真が載っていたし。それがオソロシイ誤解の始まりとは露知らず・・・。
7時の予約時間に4つ★お兄さんに案内されたのは、路地を200メートルぐらい入った奥まった場所で、また数十メートルの階段を降りてまた登ってと、いかにも秘密の場所という趣。照明も薄暗い。数人のアメリカ人4人の先客がいました。
さて、出てきたその料理を見て3人、口あんぐり。
“CUY”と言うらしい。私達の思い描いていた野菜のシチューとは似ても似つかぬ・・・大皿に何かの小動物が丸焼きになって牙のある口を開け、昇天したままの形でスチームされたキヌア(アフリカの穀物)の上に載り、周りにベイクドポテトやスイートコーン等の野菜が添えられている・・・。
Kさんは一瞥して「ネズミの丸焼きだ~っ!!」と叫ぶし、「そんなことあるわけないでしょ!」と即座に否定はしたものの、どーしてもその印象が拭えない。(確かに、毛のない手足はどうみても齧歯類。・・・)
大変な勇気でもってひとかじり。
ま、お味はクセがなく鳥類のような物。その苦しげな顔をみなければ、もう少し食べられたのかも・・・
何せ60ソーレス(約1,800円)と、他のメニューの5倍はする特別料理。いやー、まいったマイッタ。
後でCUYというその動物の写真を見て、納得。モルモット・・・でした。
その夜、何とクイの夢まで見てしまった・・・。白っぽいモコモコの毛のネズミがラスティの前をサッと横切った途端、、私の制止の叫びも聞かずに、ガブリとその胴体に噛み付いて・・・辺に血が飛び散り・・・いやに生々しい画像が今でも頭にこびりついていますぅ。
ネズミを食べるハメになるとは・・・いやぁ、まいった。
次回に続く。
[村長選挙]
今、今帰仁では選挙運動真っ盛り。暑い夏に輪をかけています。
私も微力ながら、ビラ配り、選対会議に出たり、移住者に声をかけたり・・・
今帰仁村は全国一所得が低いけれど、「平和な村」なのです。
皆で知恵を出し合って、「幸せな村」にしたいですねー。
このブログを見た人は、絶対にK候補を応援してよぉ!
朝食は、結構リッチなバイキング。
ここ“クスコプラザ”はなかなか伝統のあるホテルらしい。
今日はコレクティーポ(乗合バス)でマチュピチュの途中の村オリャンタイタンボに向かいます。
次の日、マチュピチュ行きの列車に乗るわけですが、その際、荷物の重量制限(5キロ以内)があるらしい。
出発前に3泊分の荷物をバックパックに詰め、スーツケースなど大物はこのホテルに預けていくことにします。
このホテル、そんな客の要請には慣れたもので、荷物室もありタグを付けて保管してくれました。
身軽になった私達、意気揚々と乗合バスのターミナルに向け出発。
タクシーは下町の市場通りを通ってとある建物の隙間で私達を降ろし、ワット群がって来た客引きの男達、それぞれの乗り物で目的地に連れて行くと言う。
「お生憎さま」もう旅慣れた3婆、2~3倍の値段を支払う気は毛頭無しねー。
予定通りの9:00に出発したコレクティーポ(10人乗りのオンボロバン)、道中牧歌的な景色と遠くには雪をかぶった山々、標高3000メートルの尾根を走るので、谷は思い切り深い。車窓には高山特有の広大な素晴らしい風景が広がっています。
ところがぁ、私達には景色をのんびり鑑賞することは許されなかった。
道路は2車線で舗装はされているものの道幅はそれ程広くはなく、対向車がやっとすれ違える程度。
その山道をこのバンの運ちゃん、ムキになって突っ走るのですーー。
乗用車はもちろん、トラックは追い越すわ、対向車とのニアミスもぉ。
もう、もうハラハラし通し、終始身の縮む思いでひたすら手摺を握り締めていましたぁ。
きっとこれは運転手に何か不幸な事があって(恋人にフラれたとか)、そのウサ晴らしではないか・・・
それにしても私の人生、他人のウサ晴らしで命を落とす運命だったのか・・・
色んな事が頭の中を過ぎり、手に汗握る2時間の道中があっという間でした。
途中土砂崩れの修復工事の場所があり、20分ほど待たされたものの、予定時間よりかなり早く到着したのは言うまでもなく。
オリャンタイタンボはインカ帝国の砦を背景にした小さな町。中心の広場から全ての場所に歩いて行ける。
取り敢えず、予約してあったホステルに向うことにしました。
家族経営らしい中庭のある小さなホステル、満面の笑みでで迎えてくれたオーナー。
小さな女の子が案内してくれたのは3階のVIPルームでした。
広々としたトリプルのベッドに、窓からは近隣の建物の屋根越しにインカの砦が臨め、なかなかの居心地。
ただし、夜中に発生したトラブル、トイレの水が流れない事と、シャワーのお湯が出ない事を除けば・・・。
フロントのお兄さんは唯一英語が話せ、その笑顔は4つ★。情報集めに進んで協力してくれました。
「インカの砦、上まで登るのにはどのくらいかかるの?」との問いに、「行きが3時間、帰りは2時間ぐらい」と自信ありげに言う。
結果を言うと、私たちが行き帰りにかかった時間は、2時間にも満たないものでしたー。
一体どんな時間感覚?・・きっと麓にいて実際に登ったことが無いのでは。
この砦、印象に残ったのは、地上200メートル程のところに鎮座する、横10メートル高さ5メートルはあろうかという巨大な1枚岩。
きれいな四角に加工してある。一体どうやって、何のために???
遺跡について詳しくは、リンクを見てくださいねー。)
余った時間をそれぞれ自由に使うことにして、夕方ホテルで待ち合わせ。
私は此処に来て初めてスケッチブックの紐を解きました。
古代から流れるゆったりとした時間の中で、スケッチをしながら過ごす時間はまさに至福の時でしたねー。
カメラを忘れて行ったので画像がありませ~ん。あしからず。
あ、そうそ。その日のディナーのハプニング(?)を是非書いておかなくては。
かの4つ★お兄さんに、お勧めのレストランと料理を聞いたところ、横にあったメニューを開きハイテンションで勧めてくれたのは、「最高!」だという“クイ”と呼ばれるローカル料理。4時間程かかるので、事前の予約が必要だという。
「野菜が食べたいんだけど」とのリクエストには、「うん、うん、沢山入ってるよ」
4時間ぐらい煮込むという事と、野菜が沢山入っているとのことで、私達何かシチューの様な物を想像しました。メニューにはそれっぽい写真が載っていたし。それがオソロシイ誤解の始まりとは露知らず・・・。
7時の予約時間に4つ★お兄さんに案内されたのは、路地を200メートルぐらい入った奥まった場所で、また数十メートルの階段を降りてまた登ってと、いかにも秘密の場所という趣。照明も薄暗い。数人のアメリカ人4人の先客がいました。
さて、出てきたその料理を見て3人、口あんぐり。
“CUY”と言うらしい。私達の思い描いていた野菜のシチューとは似ても似つかぬ・・・大皿に何かの小動物が丸焼きになって牙のある口を開け、昇天したままの形でスチームされたキヌア(アフリカの穀物)の上に載り、周りにベイクドポテトやスイートコーン等の野菜が添えられている・・・。
Kさんは一瞥して「ネズミの丸焼きだ~っ!!」と叫ぶし、「そんなことあるわけないでしょ!」と即座に否定はしたものの、どーしてもその印象が拭えない。(確かに、毛のない手足はどうみても齧歯類。・・・)
大変な勇気でもってひとかじり。
ま、お味はクセがなく鳥類のような物。その苦しげな顔をみなければ、もう少し食べられたのかも・・・
何せ60ソーレス(約1,800円)と、他のメニューの5倍はする特別料理。いやー、まいったマイッタ。
後でCUYというその動物の写真を見て、納得。モルモット・・・でした。
その夜、何とクイの夢まで見てしまった・・・。白っぽいモコモコの毛のネズミがラスティの前をサッと横切った途端、、私の制止の叫びも聞かずに、ガブリとその胴体に噛み付いて・・・辺に血が飛び散り・・・いやに生々しい画像が今でも頭にこびりついていますぅ。
ネズミを食べるハメになるとは・・・いやぁ、まいった。
次回に続く。
[村長選挙]
今、今帰仁では選挙運動真っ盛り。暑い夏に輪をかけています。
私も微力ながら、ビラ配り、選対会議に出たり、移住者に声をかけたり・・・
今帰仁村は全国一所得が低いけれど、「平和な村」なのです。
皆で知恵を出し合って、「幸せな村」にしたいですねー。
このブログを見た人は、絶対にK候補を応援してよぉ!
夏に元気な赤い花、名前は分かりません・・・→
Posted by よさこい at
19:07
│Comments(8)
2012年07月03日
壮大なる南米紀行(クスコ)
4月7日(土曜日)
午後4時近くにクスコ到着。
ツアー会社の迎えのバンに乗って、予約してあったKUKUIL LOGEに向かいました。
オーナーらしき太ったオジサン、慌てた様子で出てきて「今日は部屋が満室だ」と言う。「昨日だという連絡が入っていて、空港に迎えに行ったが居なかった」。あり得ない!
ロッジに迎えを頼んでいないし、こちらにはネットのページから印刷したバウチャーもある。明らかに逃げ口上。
クドクドと弁解を繰り返し謝るオーナーに、「ではどうしてくれるの?」と3人の迫力で迫ったところ、
「似たようなホテルを捜すから、コカ茶でも飲んで待っていてくれ」と平謝り。
仕方がないので、こじんまりとした感じの良いロビーで今回初の「コカティー」なるものを体験することで妥協しました。
この地方では日常的に飲まれている、コカインの原料となるこの葉っぱ、日本などでは麻薬及び向精神薬取締法に抵触する成分を含んでいる、ということで持ち込み禁止ということです。
危険な事に挑戦する前の、ちょっとした緊張感を持ってティーカップを手にすると、コカの葉っぱらしき物が5~6枚無造作にお湯の中に浮かんでいる。
味は?う~ん。特別クセもなく、日本の「三流緑茶」のような物。飲んだ後も、期待した精神面への影響も無い様で、一寸拍子抜けかなー。
とまれ、高山病、疲労回復に効くらしい、これならフツーに飲むことが可能です。
待ってる間に、オーナーとドライバーの話し合いがついたようで、オーナー曰く、「ドライバーにエキストラで、10ソーレス(約300円)を支払ってくれれば、別のホテルに連れて行く」とのこと。
「おい、おい、ミスはそっちじゃないのぉ!」と言いたかったのだけど、ここで放り出されたら路頭に迷う訳だし、しぶしぶO.K。
2つのホテルを廻り、結局落ち着いたホテルは“クスコプラザⅡ”。
ホテルは街の中心“アルマス広場”の近くにあり、ロケーションはなかなかよろしい。
荷物を部屋に置いた私達、夕暮れ迫る街に繰り出しました。
←クスコプラザに飾られていたタペストリ、インカの暗号だという。
インディオが露店を出している一角で、帽子、ベルトなどの手作り品を数々ゲット。
手編みや手織り製品を手にして、大好きな値段交渉をするわけですが・・・いつものように、「やったー!」という達成感に浸ってもいられない事情もあるのでした。
千円足らず、ギリギリまで値段を下げてもらった訳ですが、日本なら多分7~8倍はするはずの、さぞ手間のかかっただろう細かい編み物や織物、インディオ達の生活の糧だと思うと何となく後ろめたい気持ちにならざるを得なかった。
クスコのセントロの広場は綺麗で、センスの良いショーケースが立ち並び、高級レストランが周りを囲んでいます。観光客が行き交う中、裸足で民族衣装を着たインディオの物売り達が買い手を求めて声をかけています。殆ど無視されながら、それでも忍耐強く。
その生活レベルのギャップに何だか心が痛みます。
同じ人間、ましてや彼らの国の中で、観光客が威張っていて良いんだろーか・・・
その夜は「地球の歩き方」でお勧めのレストランという店でディナーをすることに。
訪ね歩き、たどり着いたそのレストラン、妙に高級そうで想像していたのとちょっと違う。
スマートな制服を着たウェイターが案内してくれた席に座り、メニューを見ると、目に飛び込んできた寿司ロール!手巻き寿司じゃぁん!
そろそろ日本食に懐かしさを感じていた私達、躊躇なくその中のひとつ(サーモン)を選択し、後はこれもお勧め料理の“セビッチェ”(魚介類のマリネ)を注文。
因みに、合計金額はその日のホテル1泊分より高い!
でもま、今夜は記念すべきクスコの一日目でもあることだしと納得し、ある程度期待していた料理が運ばれてきたのを見て、全員が「・・・・・」。
それは、お洒落な、オシャレな大皿の真ん中にちょこんと盛られた、前菜程度の量のセビッチェ。
寿司ロールときたら・・・一見アートかと思える上品な盛付けで、一口サイズのサーモンとアボガドのロールが5切れ。3人合わせたホテル代以上の料金で「ごれ???」
もう追加を注文する気も失せ、帰りにピザでも買って帰ろうということで意見は一致。早々にその店を退散しましたぁ。
結局のところ、「地球の歩き方」で紹介されているレストランとは、あくまでリッチな日本人ツーリスト向きなのだ!という認識を新たにしたことでした。
何だろ、今日は飛行機に始まって朝から災難続きだぁ~~。
しかし、ホテルに帰って本日の反省会にて、「迎えを頼んでいたお蔭で、何とか無事ホテルに落ち着けた事は「最高のラッキー」と位置づけた私達でした。
あくまで前向き、前向きのオバタリアン・・・
次回に続く。
[我が家のこの頃]
今帰仁村で8月5日、村長選挙があります。私は現村長の対立候補であるK氏を応援しています。
何と言っても「開かれた村政」ですよね。村民で創る今帰仁村、
「もう黙ってはいられない、わった~村、今帰仁の為に・・・」お、ついつい・・・。
そんな訳で選挙のお手伝い。先日の夜は、我が家のデッキで「移住者向けの勉強会」をやりました。
参加者は17名、「素敵な夜だった」という評価をいただきました。
ところがその日、主人である夫は座間味島~那覇へのサバニレースに出場のため不在。
バチが当たってか第3位になるはずが、夫達の船はゴール直前、転覆の憂き目に合ったとか・・・。
毎週月曜日の夜に、豊年祭に向けてのフラの練習をしています。2年振りの出場で「湧川フラシスターズ」が復活しました―。
午後4時近くにクスコ到着。
ツアー会社の迎えのバンに乗って、予約してあったKUKUIL LOGEに向かいました。
オーナーらしき太ったオジサン、慌てた様子で出てきて「今日は部屋が満室だ」と言う。「昨日だという連絡が入っていて、空港に迎えに行ったが居なかった」。あり得ない!
ロッジに迎えを頼んでいないし、こちらにはネットのページから印刷したバウチャーもある。明らかに逃げ口上。
クドクドと弁解を繰り返し謝るオーナーに、「ではどうしてくれるの?」と3人の迫力で迫ったところ、
「似たようなホテルを捜すから、コカ茶でも飲んで待っていてくれ」と平謝り。
仕方がないので、こじんまりとした感じの良いロビーで今回初の「コカティー」なるものを体験することで妥協しました。
この地方では日常的に飲まれている、コカインの原料となるこの葉っぱ、日本などでは麻薬及び向精神薬取締法に抵触する成分を含んでいる、ということで持ち込み禁止ということです。
危険な事に挑戦する前の、ちょっとした緊張感を持ってティーカップを手にすると、コカの葉っぱらしき物が5~6枚無造作にお湯の中に浮かんでいる。
味は?う~ん。特別クセもなく、日本の「三流緑茶」のような物。飲んだ後も、期待した精神面への影響も無い様で、一寸拍子抜けかなー。
とまれ、高山病、疲労回復に効くらしい、これならフツーに飲むことが可能です。
クスコのセントロ、アルマス広場→
待ってる間に、オーナーとドライバーの話し合いがついたようで、オーナー曰く、「ドライバーにエキストラで、10ソーレス(約300円)を支払ってくれれば、別のホテルに連れて行く」とのこと。
「おい、おい、ミスはそっちじゃないのぉ!」と言いたかったのだけど、ここで放り出されたら路頭に迷う訳だし、しぶしぶO.K。
2つのホテルを廻り、結局落ち着いたホテルは“クスコプラザⅡ”。
ホテルは街の中心“アルマス広場”の近くにあり、ロケーションはなかなかよろしい。
荷物を部屋に置いた私達、夕暮れ迫る街に繰り出しました。
←クスコプラザに飾られていたタペストリ、インカの暗号だという。
インディオが露店を出している一角で、帽子、ベルトなどの手作り品を数々ゲット。
手編みや手織り製品を手にして、大好きな値段交渉をするわけですが・・・いつものように、「やったー!」という達成感に浸ってもいられない事情もあるのでした。
千円足らず、ギリギリまで値段を下げてもらった訳ですが、日本なら多分7~8倍はするはずの、さぞ手間のかかっただろう細かい編み物や織物、インディオ達の生活の糧だと思うと何となく後ろめたい気持ちにならざるを得なかった。
クスコのセントロの広場は綺麗で、センスの良いショーケースが立ち並び、高級レストランが周りを囲んでいます。観光客が行き交う中、裸足で民族衣装を着たインディオの物売り達が買い手を求めて声をかけています。殆ど無視されながら、それでも忍耐強く。
その生活レベルのギャップに何だか心が痛みます。
同じ人間、ましてや彼らの国の中で、観光客が威張っていて良いんだろーか・・・
その夜は「地球の歩き方」でお勧めのレストランという店でディナーをすることに。
訪ね歩き、たどり着いたそのレストラン、妙に高級そうで想像していたのとちょっと違う。
スマートな制服を着たウェイターが案内してくれた席に座り、メニューを見ると、目に飛び込んできた寿司ロール!手巻き寿司じゃぁん!
そろそろ日本食に懐かしさを感じていた私達、躊躇なくその中のひとつ(サーモン)を選択し、後はこれもお勧め料理の“セビッチェ”(魚介類のマリネ)を注文。
因みに、合計金額はその日のホテル1泊分より高い!
でもま、今夜は記念すべきクスコの一日目でもあることだしと納得し、ある程度期待していた料理が運ばれてきたのを見て、全員が「・・・・・」。
それは、お洒落な、オシャレな大皿の真ん中にちょこんと盛られた、前菜程度の量のセビッチェ。
寿司ロールときたら・・・一見アートかと思える上品な盛付けで、一口サイズのサーモンとアボガドのロールが5切れ。3人合わせたホテル代以上の料金で「ごれ???」
もう追加を注文する気も失せ、帰りにピザでも買って帰ろうということで意見は一致。早々にその店を退散しましたぁ。
結局のところ、「地球の歩き方」で紹介されているレストランとは、あくまでリッチな日本人ツーリスト向きなのだ!という認識を新たにしたことでした。
夜のアルマス広場、辻辻にポリスが立っていて安全ではある・・→
何だろ、今日は飛行機に始まって朝から災難続きだぁ~~。
しかし、ホテルに帰って本日の反省会にて、「迎えを頼んでいたお蔭で、何とか無事ホテルに落ち着けた事は「最高のラッキー」と位置づけた私達でした。
あくまで前向き、前向きのオバタリアン・・・
次回に続く。
[我が家のこの頃]
今帰仁村で8月5日、村長選挙があります。私は現村長の対立候補であるK氏を応援しています。
何と言っても「開かれた村政」ですよね。村民で創る今帰仁村、
「もう黙ってはいられない、わった~村、今帰仁の為に・・・」お、ついつい・・・。
そんな訳で選挙のお手伝い。先日の夜は、我が家のデッキで「移住者向けの勉強会」をやりました。
参加者は17名、「素敵な夜だった」という評価をいただきました。
ところがその日、主人である夫は座間味島~那覇へのサバニレースに出場のため不在。
バチが当たってか第3位になるはずが、夫達の船はゴール直前、転覆の憂き目に合ったとか・・・。
毎週月曜日の夜に、豊年祭に向けてのフラの練習をしています。2年振りの出場で「湧川フラシスターズ」が復活しました―。
Posted by よさこい at
18:52
│Comments(0)
2012年06月26日
壮大なる南米紀行(ブエノスアイレス―リマ)
4月6日~7日(金~土曜日)
ブエノスアイレスを発つ日。
フライトは19:45なので、たっぷりの日中観光は、ボカ地区散策に出かけることにします。
その昔、港町として栄たところで、各地から流れて来た人たちや船員たちの故郷への思いが、独自の音楽、ダンスを生んだという「タンゴ発祥の地」なのです。
何十年か前ニューオーリンズに行ったっけ。ミシシッピリバーの畔、「ジャズ発祥の地」
人間のソウルに直接響く音楽、そのスペイン版がタンゴであり、黒人奴隷のそれはジャスとなって世界中に広まったのか、ふむ、ふむ。
朝食の時、同じホステルに宿泊中の日本人のカップルに遭遇しました。
彼らは新婚旅行に1年かけて、世界一周の旅をしているのだとか。
南米はメキシコを出発してリマ―クスコ―マチュピチュ―プーノ―ラパス―ウユニ―ブエノスアイレスと辿って来たという。
私たちのこれから行くところじゃん!
気の毒な二人、日本語に飢えたオバサンたちの集中砲火を浴びたのは言うまでもなく。
私も唯一心配だった「ウユニからチリに抜けるルート」について貴重な情報を得て、一安心。
二人とも私たちの子供の(孫の?)世代、私達3人の珍道中に健気にもエールを送ってくれましたぁ。
うん、日本の若者も捨てたもんじゃない。
ボカ地区。
観光のメッカというだけあって、その混雑振りは大変なもの。
飛行機の中で出会った男性からは、ボカ地区では「自分のバッグから絶対に目を離すな」、と忠告されましたね。
一度だけ、ストールで顔を被った中年女性が私たちの背後に近づき、ふと振り向いた私と目があった途端、不自然にその場を去って行きました―。
レストランの前の通りでは観光客相手のタンゴパフォーマンスをあちこちでやっていましたが、昨夜の「タンゴの夜」の余韻がまだ残っている私達にとって、「ふ~ん・・」と言う感じ。
←タンゴをモチーフにした多彩な人形達
適当にお店を冷やかし、ランチに1個5ペソ(15円)のミートパイを買ってもらって一休み。
何しろ、本日アルゼンチンを発つので「余裕のお金は無いよ」、との会計様のお達しがあったのです。
おまけにタクシー代を稼ぐ為にホステルまでの道を途中まで歩こうという事に。
ま、良いか。運動、運動。
途中、大きな公園で市民と混ざってしばし憩いの時を過ごしたり。結構こんなことが思い出に残っているのですね。
タクシーを待ってる間に買い物に出かけたKさんとFさん、得意満面で帰ってきました。フルーツとパンを買ってアルゼンチンペソをすっかり使い切ったそうな。
「何て賢い使い方!と一同大満足」。
リマ(ペルー)までは約5時間弱のフライトで12時半に着くはずが、2時間の時差のため、着いたのは現地時間で10時P.M. 一寸得をしたような・・・。
相変わらず、(カモ探しの)人だかりで、すかさずタクシーの運転手が寄ってくる。でもねー、2度目の私達、もう余裕で値段交渉。18ペソ→15ペソ。
ここリマは通過地点で、明日の昼にはローカル便でクスコに向けて発ちます。
なんという事もない、空港近くのビジネスホテル。ただ、その名前が「S.Mホテル」と一寸怪しい。
早朝、時計を変更していなかったFさんの2時間早目のモーニングコールに、一度はロビーに降りたものの食事の準備もまだ出来てなく再び部屋に帰り寝直し。
今回の旅行中、時差には随分と神経を使いました。広大な南米を旅行すると、それぞれの国で時差が生じるのです。
ましてや、日本にはどこにでもある時計というものが、滅多に無いので、うっかりすると出発時間をミスしてしまう。
S.Mホテル、割とリッチな朝食を提供してくれました。フレッシュジュース(まんごー、パイナップル)が実に美味しかった。流石ペルーの首都だけあって、物流は充実してるのでしょう。
空港まで送ってくれたタクシーのドライバーは珍しく女性で、これも珍しく英語で話しかけてくる。
夜間スクールで英語の勉強をしているという、3人の子持ちで、お金を貯めて7年後にもう一人子供を産む予定だとか。ふ~む、逞しい!
だけど、私たちを相手に英語の勉強はちょっとねー
「少子化問題」はこの国ではあり得ないのでしょう。純粋に感心した私達、チップを心持ち弾んだ事でした。
TAKA航空でのハプニング。
カウンターでチェックインをしようとすると、何と予約をしていた便は「明日に変更になった」、と言う。
「な、なぬぅ~~!」そりゃぁね、リコンファームしていなかったけどね、「そんなに簡単に変更するものなのぉ。少々の時間の変更ならまだしも!今日のホテルも予約しているのだしぃ!」と、そんな内容の事をクドクドと言った結果、1時間遅い便を都合してくれて、何とかその日の内にクスコに行ける事になりました。ホッ
ただ、現地の旅行会社に頼んであったマチュピチュへの列車のチケットを、空港で受け取る事になっていたー。
遅れの事を連絡しようと、旅行会社に電話するも応答無し。そう言えば今はイースターバケーション中で、会社は休みだとか言っていたわ―。
ま、到着時間の遅延は珍しくないみたいだし、ひたすら待っていてくれることを祈って、「心配しても仕方がない」とは分かっていても、クスコに着くまで気が気ではなく、荷物の出てくるのをこれ程もどかしく思った事も無かったですね。
外に出て私たちの名前を書いたプレートを掲げたお兄さんを見つけた時は、天にも昇る気持ちになった事でしたぁ。
言葉は通じないのに気持ちは通じたようで、お互い固い握手をして・・・
無事、今後の切符も手に入り、旅行のハイライト第二弾、「インカの遺跡廻りの旅」の幕開けです。
じわじわっと念願だったクスコに来たのだ、という感慨が湧いてきましたねー。
次回に続く。
〈我が家のゲスト〉
先日カラスの攻撃から救った“アオバズク”、今は我が家のゲストルームで元気に飛び回っています―。
近所の獣医さんに相談した結果、羽が生え揃うまで預かる事になったのです。
最初はダンボールに入れていたのですが、暑いし、運動も必要だろうし、ということで現在ゲストルームがアオバズクの「ズックちゃん」のお部屋です。食事は鶏のささ身とレバーをピンセットであげてます。慣れるといいけど・・・
ブエノスアイレスを発つ日。
フライトは19:45なので、たっぷりの日中観光は、ボカ地区散策に出かけることにします。
その昔、港町として栄たところで、各地から流れて来た人たちや船員たちの故郷への思いが、独自の音楽、ダンスを生んだという「タンゴ発祥の地」なのです。
何十年か前ニューオーリンズに行ったっけ。ミシシッピリバーの畔、「ジャズ発祥の地」
人間のソウルに直接響く音楽、そのスペイン版がタンゴであり、黒人奴隷のそれはジャスとなって世界中に広まったのか、ふむ、ふむ。
朝食の時、同じホステルに宿泊中の日本人のカップルに遭遇しました。
彼らは新婚旅行に1年かけて、世界一周の旅をしているのだとか。
南米はメキシコを出発してリマ―クスコ―マチュピチュ―プーノ―ラパス―ウユニ―ブエノスアイレスと辿って来たという。
私たちのこれから行くところじゃん!
気の毒な二人、日本語に飢えたオバサンたちの集中砲火を浴びたのは言うまでもなく。
私も唯一心配だった「ウユニからチリに抜けるルート」について貴重な情報を得て、一安心。
二人とも私たちの子供の(孫の?)世代、私達3人の珍道中に健気にもエールを送ってくれましたぁ。
うん、日本の若者も捨てたもんじゃない。
ボカ地区。
観光のメッカというだけあって、その混雑振りは大変なもの。
飛行機の中で出会った男性からは、ボカ地区では「自分のバッグから絶対に目を離すな」、と忠告されましたね。
一度だけ、ストールで顔を被った中年女性が私たちの背後に近づき、ふと振り向いた私と目があった途端、不自然にその場を去って行きました―。
レストランの前の通りでは観光客相手のタンゴパフォーマンスをあちこちでやっていましたが、昨夜の「タンゴの夜」の余韻がまだ残っている私達にとって、「ふ~ん・・」と言う感じ。
←タンゴをモチーフにした多彩な人形達
適当にお店を冷やかし、ランチに1個5ペソ(15円)のミートパイを買ってもらって一休み。
何しろ、本日アルゼンチンを発つので「余裕のお金は無いよ」、との会計様のお達しがあったのです。
おまけにタクシー代を稼ぐ為にホステルまでの道を途中まで歩こうという事に。
ま、良いか。運動、運動。
途中、大きな公園で市民と混ざってしばし憩いの時を過ごしたり。結構こんなことが思い出に残っているのですね。
一人一個の割り当て→
タクシーを待ってる間に買い物に出かけたKさんとFさん、得意満面で帰ってきました。フルーツとパンを買ってアルゼンチンペソをすっかり使い切ったそうな。
「何て賢い使い方!と一同大満足」。
リマ(ペルー)までは約5時間弱のフライトで12時半に着くはずが、2時間の時差のため、着いたのは現地時間で10時P.M. 一寸得をしたような・・・。
相変わらず、(カモ探しの)人だかりで、すかさずタクシーの運転手が寄ってくる。でもねー、2度目の私達、もう余裕で値段交渉。18ペソ→15ペソ。
ここリマは通過地点で、明日の昼にはローカル便でクスコに向けて発ちます。
なんという事もない、空港近くのビジネスホテル。ただ、その名前が「S.Mホテル」と一寸怪しい。
早朝、時計を変更していなかったFさんの2時間早目のモーニングコールに、一度はロビーに降りたものの食事の準備もまだ出来てなく再び部屋に帰り寝直し。
今回の旅行中、時差には随分と神経を使いました。広大な南米を旅行すると、それぞれの国で時差が生じるのです。
ましてや、日本にはどこにでもある時計というものが、滅多に無いので、うっかりすると出発時間をミスしてしまう。
S.Mホテル、割とリッチな朝食を提供してくれました。フレッシュジュース(まんごー、パイナップル)が実に美味しかった。流石ペルーの首都だけあって、物流は充実してるのでしょう。
空港まで送ってくれたタクシーのドライバーは珍しく女性で、これも珍しく英語で話しかけてくる。
夜間スクールで英語の勉強をしているという、3人の子持ちで、お金を貯めて7年後にもう一人子供を産む予定だとか。ふ~む、逞しい!
だけど、私たちを相手に英語の勉強はちょっとねー
「少子化問題」はこの国ではあり得ないのでしょう。純粋に感心した私達、チップを心持ち弾んだ事でした。
TAKA航空でのハプニング。
カウンターでチェックインをしようとすると、何と予約をしていた便は「明日に変更になった」、と言う。
「な、なぬぅ~~!」そりゃぁね、リコンファームしていなかったけどね、「そんなに簡単に変更するものなのぉ。少々の時間の変更ならまだしも!今日のホテルも予約しているのだしぃ!」と、そんな内容の事をクドクドと言った結果、1時間遅い便を都合してくれて、何とかその日の内にクスコに行ける事になりました。ホッ
ただ、現地の旅行会社に頼んであったマチュピチュへの列車のチケットを、空港で受け取る事になっていたー。
遅れの事を連絡しようと、旅行会社に電話するも応答無し。そう言えば今はイースターバケーション中で、会社は休みだとか言っていたわ―。
ま、到着時間の遅延は珍しくないみたいだし、ひたすら待っていてくれることを祈って、「心配しても仕方がない」とは分かっていても、クスコに着くまで気が気ではなく、荷物の出てくるのをこれ程もどかしく思った事も無かったですね。
外に出て私たちの名前を書いたプレートを掲げたお兄さんを見つけた時は、天にも昇る気持ちになった事でしたぁ。
言葉は通じないのに気持ちは通じたようで、お互い固い握手をして・・・
無事、今後の切符も手に入り、旅行のハイライト第二弾、「インカの遺跡廻りの旅」の幕開けです。
じわじわっと念願だったクスコに来たのだ、という感慨が湧いてきましたねー。
次回に続く。
〈我が家のゲスト〉
先日カラスの攻撃から救った“アオバズク”、今は我が家のゲストルームで元気に飛び回っています―。
近所の獣医さんに相談した結果、羽が生え揃うまで預かる事になったのです。
最初はダンボールに入れていたのですが、暑いし、運動も必要だろうし、ということで現在ゲストルームがアオバズクの「ズックちゃん」のお部屋です。食事は鶏のささ身とレバーをピンセットであげてます。慣れるといいけど・・・
Posted by よさこい at
19:05
│Comments(0)
2012年06月21日
壮大なる南米旅行(ブエノスアイレス)
4月5日
”タンゴ バンドネオン”と言うホステル。(バンドネオンとはタンゴの演奏に使われる小型のアコーディオンに似た楽器のこと)
ロケーションは観光客に人気の“サンテルモ地区”の一角にあり、人の出入りが多いのです。
中庭がある古いお屋敷を改造したような造り。天井が不必要に高くシーリングファンが優雅に回る実に風情のあるお部屋―。
ナターリアという英語堪能のスタッフと、スペイン語オンリーの用務員のおばさん。
英語の分かるのはナターリアだけなので、忙しそうな彼女を捕まえては、情報収集。
手持ちの地図に書き込みをしてもらい、準備万端で街に繰り出しました。
感覚派のKさん、後に続けとばかりトットと先に行く。
「おいおい、通りの名前の確認はぁ?」の声も虚しく・・・
方向感覚には全く自信の無いFさんと私、とにかくついて行くしかない。
数ブロック歩いたかなー、行けども行けどもあるはずの通りが現れない。
辻に立っていたポリスに聞くも、英語通じず。地図で現在地を示してもらう。何と全く反対方向に歩いていた!
そんなことが数回あり、その度に方向修正。
どうも、いつもの抜群の方向感覚も大都会では利かなかったようで、目的の旅行会社にたどり着いたのは昼近く。
日本語を話すスタッフが居るというその旅行会社に、ペルーからチリに抜けるツアーを聞いてみるも、「アレンジは出来ない」
と言うし、その辺の情報にも暗く、箸にも棒にも掛からない。全くの無駄骨―。
気を取り直し、以前飛行機で出会ったイケメン男性のメモから、お勧めのレストラン、
”カフェトリトン”を目指す。
まずはお腹にパワーを蓄えなければ。此処ではタンゴショーも見られるとか。
店の前には何と長蛇の列!お腹空いていたけれど、期待感が先行し待ち時間も気にならない。
やっと名前が呼ばれ、テーブル席に案内されあたりを見回すと、成る程、いかにも伝統のありそうな雰囲気。
壁には有名人らしき人達の写真がこれ見よがしに掲げられていました。おやおや、かの国の大統領も!
ただし、タンゴショーの時間は昼の部は既に終わっていました。次はディナーショーになるらしい。
専属のウェイターからメニューを受け取り、やや緊張気味にB.Aに着いたら食べようと決めていたビーフステーキを注文。アルゼンチンはやっぱビーフでしょう。
お値段はメチャ高ではあったけれど(これまで外食した中で最高)、伝統の味を期待して
ワクワク。
ところがぁ、出てきたステーキはと言うと…ウェルダンでシンプルテイスト、
つまり硬くて味が無い。付け合せの「ロシアンサラダ」とはサイコロに切ったポテトのマヨネーズ和え…
拍子抜けもいいとこで、思わず顔を見合わせてしまったぁ。
チップは本来支払うべきものだけど、此処だけは支払い拒否をしたかったですね。
アルゼンチンの牛肉はこの程度の物なのか。アルゼンチンの食生活の貧弱さよ!
期待感が大きかった分失望感も増幅し、まだ列を作って待っている人達に教えてあげたい衝動にかられました。
「不味いよ!高いよ!」
食後だというのに、テンションはとにかく低いままで、観光客のひしめくフロリダストリートをブラブラ。
総合的な疲れと、ワインの酔いで、気持ちはベッドでゴロリといきたかったのですが、そ、「折角ここまで来た」のですから。
そして、タンゴの本場に来たからには心残りの無いように、キチンと検証しなくては。
歩いている途中で、キャッチのお兄さんに「タンゴショーを見たい」と言うと、満面の笑みで「従いて来い」と言う。
とあるビルのエレベーターに乗せられた時は、身の危険を感じてちょっとドキドキしました、流石に―。
連れられて行ったのは、小奇麗な旅行会社のオフィス。B.Aでの色んなエンターテインメントを取り扱っているらしい。
そこで幾つかのシアターを紹介され、リストを検討の結果、結局、一番人気だというシアターに決定。主に料理の種類が多いこと、DVDとか写真、タンゴのレッスン、フリードリンクに心を動かされた結果ですぅ。
モチ、料金は割り引いてもらって、US$180→US$100。
ショーの始まりは、何と10:00p.m~。B.Aは夜の街なのだ。
8:00のホテルのピックアップの時間まで、「ひとまず帰ってお昼寝しよう!」という事で意見一致。部屋に着くなり、皆ベッドに倒れこみ・・・。
さて、リフレッシュした私達、ディナーショーだしぃ、少しはお洒落をしてと首にスカーフ等を巻いて颯爽と出かけました。
“Madero Tango”は川の側にあり、大きな立派な建物。
昼間の事があるので期待半分にしても・・・、その豪華な客席(2~300席)は2階席までほぼ満席。
私たちの席は当日予約であったにも拘らず、前列3番目のVIP席。
ディナーは、シャンパンから始まりアプタイザー、メイン、デザートとそれぞれ沢山のチョイスがあり、親切なウェイトレスが一つひとつ説明をしてくれる。
シーフードサラダ、昼のリベンジにビーフステーキを注文。デザートには3名それぞれ違う種類のケーキを取り、分け合うことにして。
その料理、全てが
ファンタスティック!!
ステーキもジューシーで、その厚さ3センチ以上!
アルゼンチンの食生活に下した判定を覆さざるを得ませんでしたね。リベンジは果たされた!
そして、そしてディナーの後に始まったタンゴショーは、これまた息を呑む素晴らしさでした―。
総勢14~5名の踊り子と生演奏、シンガーも男女2名いて全員レベルの高さは申し分なく、もうこれはアートと言う他はない。
一つの恋のストーリーが軸にあり、それぞれのシーン衣装を変えて、息つく暇もなく展開される舞台に圧倒される。
いやぁ、アルゼンチンタンゴの心意気を感じさせる素晴らしい舞台でした。
当然、チップは昼の分も(気持ちの上で)弾みましたねー。
「終わりよければ全て良し」アルゼンチンの「タンゴの夜」は私たちの脳裏にしっかりと焼き付き、幸せな気分にさせてくれました。
VIVA Tango!
VIVa Buenos Aires!
次回に続く。
”タンゴ バンドネオン”と言うホステル。(バンドネオンとはタンゴの演奏に使われる小型のアコーディオンに似た楽器のこと)
ロケーションは観光客に人気の“サンテルモ地区”の一角にあり、人の出入りが多いのです。
中庭がある古いお屋敷を改造したような造り。天井が不必要に高くシーリングファンが優雅に回る実に風情のあるお部屋―。
ナターリアという英語堪能のスタッフと、スペイン語オンリーの用務員のおばさん。
英語の分かるのはナターリアだけなので、忙しそうな彼女を捕まえては、情報収集。
手持ちの地図に書き込みをしてもらい、準備万端で街に繰り出しました。
感覚派のKさん、後に続けとばかりトットと先に行く。
「おいおい、通りの名前の確認はぁ?」の声も虚しく・・・
方向感覚には全く自信の無いFさんと私、とにかくついて行くしかない。
数ブロック歩いたかなー、行けども行けどもあるはずの通りが現れない。
辻に立っていたポリスに聞くも、英語通じず。地図で現在地を示してもらう。何と全く反対方向に歩いていた!
そんなことが数回あり、その度に方向修正。
どうも、いつもの抜群の方向感覚も大都会では利かなかったようで、目的の旅行会社にたどり着いたのは昼近く。
日本語を話すスタッフが居るというその旅行会社に、ペルーからチリに抜けるツアーを聞いてみるも、「アレンジは出来ない」
と言うし、その辺の情報にも暗く、箸にも棒にも掛からない。全くの無駄骨―。
気を取り直し、以前飛行機で出会ったイケメン男性のメモから、お勧めのレストラン、
”カフェトリトン”を目指す。
まずはお腹にパワーを蓄えなければ。此処ではタンゴショーも見られるとか。
店の前には何と長蛇の列!お腹空いていたけれど、期待感が先行し待ち時間も気にならない。
やっと名前が呼ばれ、テーブル席に案内されあたりを見回すと、成る程、いかにも伝統のありそうな雰囲気。
壁には有名人らしき人達の写真がこれ見よがしに掲げられていました。おやおや、かの国の大統領も!
ただし、タンゴショーの時間は昼の部は既に終わっていました。次はディナーショーになるらしい。
専属のウェイターからメニューを受け取り、やや緊張気味にB.Aに着いたら食べようと決めていたビーフステーキを注文。アルゼンチンはやっぱビーフでしょう。
お値段はメチャ高ではあったけれど(これまで外食した中で最高)、伝統の味を期待して
ワクワク。
ところがぁ、出てきたステーキはと言うと…ウェルダンでシンプルテイスト、
つまり硬くて味が無い。付け合せの「ロシアンサラダ」とはサイコロに切ったポテトのマヨネーズ和え…
拍子抜けもいいとこで、思わず顔を見合わせてしまったぁ。
チップは本来支払うべきものだけど、此処だけは支払い拒否をしたかったですね。
雰囲気は悪くない→
アルゼンチンの牛肉はこの程度の物なのか。アルゼンチンの食生活の貧弱さよ!
期待感が大きかった分失望感も増幅し、まだ列を作って待っている人達に教えてあげたい衝動にかられました。
「不味いよ!高いよ!」
食後だというのに、テンションはとにかく低いままで、観光客のひしめくフロリダストリートをブラブラ。
総合的な疲れと、ワインの酔いで、気持ちはベッドでゴロリといきたかったのですが、そ、「折角ここまで来た」のですから。
そして、タンゴの本場に来たからには心残りの無いように、キチンと検証しなくては。
歩いている途中で、キャッチのお兄さんに「タンゴショーを見たい」と言うと、満面の笑みで「従いて来い」と言う。
とあるビルのエレベーターに乗せられた時は、身の危険を感じてちょっとドキドキしました、流石に―。
連れられて行ったのは、小奇麗な旅行会社のオフィス。B.Aでの色んなエンターテインメントを取り扱っているらしい。
そこで幾つかのシアターを紹介され、リストを検討の結果、結局、一番人気だというシアターに決定。主に料理の種類が多いこと、DVDとか写真、タンゴのレッスン、フリードリンクに心を動かされた結果ですぅ。
モチ、料金は割り引いてもらって、US$180→US$100。
ショーの始まりは、何と10:00p.m~。B.Aは夜の街なのだ。
8:00のホテルのピックアップの時間まで、「ひとまず帰ってお昼寝しよう!」という事で意見一致。部屋に着くなり、皆ベッドに倒れこみ・・・。
さて、リフレッシュした私達、ディナーショーだしぃ、少しはお洒落をしてと首にスカーフ等を巻いて颯爽と出かけました。
“Madero Tango”は川の側にあり、大きな立派な建物。
昼間の事があるので期待半分にしても・・・、その豪華な客席(2~300席)は2階席までほぼ満席。
私たちの席は当日予約であったにも拘らず、前列3番目のVIP席。
ディナーは、シャンパンから始まりアプタイザー、メイン、デザートとそれぞれ沢山のチョイスがあり、親切なウェイトレスが一つひとつ説明をしてくれる。
シーフードサラダ、昼のリベンジにビーフステーキを注文。デザートには3名それぞれ違う種類のケーキを取り、分け合うことにして。
その料理、全てが
ファンタスティック!!
ステーキもジューシーで、その厚さ3センチ以上!
アルゼンチンの食生活に下した判定を覆さざるを得ませんでしたね。リベンジは果たされた!
そして、そしてディナーの後に始まったタンゴショーは、これまた息を呑む素晴らしさでした―。
総勢14~5名の踊り子と生演奏、シンガーも男女2名いて全員レベルの高さは申し分なく、もうこれはアートと言う他はない。
一つの恋のストーリーが軸にあり、それぞれのシーン衣装を変えて、息つく暇もなく展開される舞台に圧倒される。
いやぁ、アルゼンチンタンゴの心意気を感じさせる素晴らしい舞台でした。
当然、チップは昼の分も(気持ちの上で)弾みましたねー。
「終わりよければ全て良し」アルゼンチンの「タンゴの夜」は私たちの脳裏にしっかりと焼き付き、幸せな気分にさせてくれました。
VIVA Tango!
VIVa Buenos Aires!
次回に続く。
Posted by よさこい at
11:19
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2012年06月19日
壮大なる南米紀行(エル・カラファテ―ブエノスアイレス)
4月4日(水曜日)
夜半から屋根を激しくたたく雨音。
午後4時過ぎの飛行機でブエノスアイレスに発ちます。
「パタゴニア最後の日は雨かぁ」とがっかりしていたところ、朝は眩しい太陽が。流石晴れ女3人のパワー。
朝食の後、外に出てみると、昨日までは黒かった山肌に真っ白な冠雪が!
朝の散歩は昨日風と戦った“ニメス湖”をグルリと回り、「昨日とはまた違った鳥たちの生態を目にし・・・」と、かっこよく締めたかったのですがね、やはり風が半端じゃない、追い返される形で早々に引き上げたことでした。
銀行が開くのを待ってATMに走り、皆の運命を決めるキャッシングに再挑戦。
まだアルゼンチンで3日間過ごすので、ある程度ペソは必要、かと言って余っても他の国では一切使えない通貨。
いくら下ろすかその加減が微妙なのです。
3人でATMの前に立ち、あーだこーだ。やはりウシュアイアの時と同じようなエラーメッセージが出てくる。
こうなりゃ銀行員を呼んできて何としてでも
現金を手にしなければ、私達痩せ細ってしまう・・・
私たちの喜び様を見た銀行員の何とも複雑な表情、「日本にはATMは無いのかしら・・・」
一件落着で、すっかり太っ腹になった私達、さっそく街中を闊歩し土産物を見て回ったりしましたが、「待てよ」、これから行くところ、クスコやラ・パスでは物価がかなり安いらしい。
結局、見るだけに留めたところは賢明な私達だからこそ。
そして、お約束のランチはずっと楽しみにしていたピザ!宿のオーナーのシンシアに聞いてチェックしておいたレストランを目指します。
ランチタイムには少々早いのか他には2組の客だけ。
大勢の客がいれば周りを見回して「アレ」と言えるのだけど・・・ね。
仕方がない、メニューを眺め想像力を働かせ、注文。まー、ピザですからね。
すっかり満足のランチでしたぁ。
タクシーで空港まで、約10キロ郊外にある空港は、いかにもローカル。
ここからパタゴニアの上空をひとっ飛び、たったの3時間でブエノスアイレスに着きます。
使用したのはLAN航空、南米屈指の航空会社だけあって、ローカル便でも機内は綺麗だしアテンダントも質が良い。どっかのアメリカの航空会社とは大分格が違いますねー。
快適な空の旅、といくかと思いきや、B.Aに近づくにつれ上空には何だか不穏な気配が。
窓からは雲の間に頻繁に稲光!機体は上下に揺れるわ、雷は飛行機には落ちないと聞いてはいたけれど、間近に見る閃光は気分の良いものではない。
B.Aの上空で何度か旋回をした後、着陸時には突風に煽られ機体が一度フワァッと浮き、ドドーンと着地した時は乗客から拍手が湧きました。
「同じ危機を脱した」という一体感が生まれた一瞬でした。
タクシーで向かう途中、雷で大木が道路に倒れ交通渋滞を引き起こしている場所が数カ所もあり、嵐の酷さを物語っていました。
もしかして私達、命拾いしたのかも・・・
B.Aの宿はサンテルモ地区にある宿“タンゴ&バンドネオン”。
ネットの口コミでは★4.5と、なかなかの評判でした。。
ただ心配は書き込みをしていた殆どが若者のバックパッカーらしい人達・・
次回に続く。
[台風一過]
台風を心配しながらも、16日~17日にかけて、伊平屋島に小旅行。
“伊平屋島、感謝の夕べ”というテーマで組まれたツアー。
ビーチクリーニングをした後、沖縄の歌手“池田卓”のライブを聴きながら、BBQパーティー、
7名のモアイ仲間で行ってきました。
←この碧さはやんばるにも無いもの
台風4号の来冲を目前に、しかし、帰って来るまで天気は上々。
帰ってからは買出しをしたり、気合を入れて家の周りの台風準備をしました。
だって、かつてないほどの強力台風という情報もあり、バナナの葉っぱを落としたり、デッキの上の物は全て部屋の中に収め、外のものはロープで縛り付け・・・。
早めに雨戸を閉めて、暗がりの中、余裕の気持ちで台風を待ったのですが、夕方頃か暴風雨圏内に入るというのに、待てど暮らせど・・・。とうとう朝になってしまいましたー。
ま、被害が無くて良かったよかった
夜半から屋根を激しくたたく雨音。
午後4時過ぎの飛行機でブエノスアイレスに発ちます。
「パタゴニア最後の日は雨かぁ」とがっかりしていたところ、朝は眩しい太陽が。流石晴れ女3人のパワー。
朝食の後、外に出てみると、昨日までは黒かった山肌に真っ白な冠雪が!
朝の散歩は昨日風と戦った“ニメス湖”をグルリと回り、「昨日とはまた違った鳥たちの生態を目にし・・・」と、かっこよく締めたかったのですがね、やはり風が半端じゃない、追い返される形で早々に引き上げたことでした。
ニメス湖の隣のアルゼンチン湖→
銀行が開くのを待ってATMに走り、皆の運命を決めるキャッシングに再挑戦。
まだアルゼンチンで3日間過ごすので、ある程度ペソは必要、かと言って余っても他の国では一切使えない通貨。
いくら下ろすかその加減が微妙なのです。
3人でATMの前に立ち、あーだこーだ。やはりウシュアイアの時と同じようなエラーメッセージが出てくる。
こうなりゃ銀行員を呼んできて何としてでも
現金を手にしなければ、私達痩せ細ってしまう・・・
南米版お地蔵様→
ATMの横に付いていた電話で銀行員を呼び出し、指示通りに操作をすると、何という事もなく機械はスムーズに動いてくれたのです。私たちの喜び様を見た銀行員の何とも複雑な表情、「日本にはATMは無いのかしら・・・」
一件落着で、すっかり太っ腹になった私達、さっそく街中を闊歩し土産物を見て回ったりしましたが、「待てよ」、これから行くところ、クスコやラ・パスでは物価がかなり安いらしい。
結局、見るだけに留めたところは賢明な私達だからこそ。
そして、お約束のランチはずっと楽しみにしていたピザ!宿のオーナーのシンシアに聞いてチェックしておいたレストランを目指します。
ランチタイムには少々早いのか他には2組の客だけ。
大勢の客がいれば周りを見回して「アレ」と言えるのだけど・・・ね。
仕方がない、メニューを眺め想像力を働かせ、注文。まー、ピザですからね。
すっかり満足のランチでしたぁ。
タクシーで空港まで、約10キロ郊外にある空港は、いかにもローカル。
ここからパタゴニアの上空をひとっ飛び、たったの3時間でブエノスアイレスに着きます。
使用したのはLAN航空、南米屈指の航空会社だけあって、ローカル便でも機内は綺麗だしアテンダントも質が良い。どっかのアメリカの航空会社とは大分格が違いますねー。
快適な空の旅、といくかと思いきや、B.Aに近づくにつれ上空には何だか不穏な気配が。
窓からは雲の間に頻繁に稲光!機体は上下に揺れるわ、雷は飛行機には落ちないと聞いてはいたけれど、間近に見る閃光は気分の良いものではない。
B.Aの上空で何度か旋回をした後、着陸時には突風に煽られ機体が一度フワァッと浮き、ドドーンと着地した時は乗客から拍手が湧きました。
「同じ危機を脱した」という一体感が生まれた一瞬でした。
タクシーで向かう途中、雷で大木が道路に倒れ交通渋滞を引き起こしている場所が数カ所もあり、嵐の酷さを物語っていました。
もしかして私達、命拾いしたのかも・・・
B.Aの宿はサンテルモ地区にある宿“タンゴ&バンドネオン”。
ネットの口コミでは★4.5と、なかなかの評判でした。。
ただ心配は書き込みをしていた殆どが若者のバックパッカーらしい人達・・
次回に続く。
[台風一過]
台風を心配しながらも、16日~17日にかけて、伊平屋島に小旅行。
“伊平屋島、感謝の夕べ”というテーマで組まれたツアー。
ビーチクリーニングをした後、沖縄の歌手“池田卓”のライブを聴きながら、BBQパーティー、
7名のモアイ仲間で行ってきました。
←この碧さはやんばるにも無いもの
台風4号の来冲を目前に、しかし、帰って来るまで天気は上々。
帰ってからは買出しをしたり、気合を入れて家の周りの台風準備をしました。
だって、かつてないほどの強力台風という情報もあり、バナナの葉っぱを落としたり、デッキの上の物は全て部屋の中に収め、外のものはロープで縛り付け・・・。
早めに雨戸を閉めて、暗がりの中、余裕の気持ちで台風を待ったのですが、夕方頃か暴風雨圏内に入るというのに、待てど暮らせど・・・。とうとう朝になってしまいましたー。
ま、被害が無くて良かったよかった
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2012年06月15日
壮大なる南米紀行(ペリトモレノ氷河・エル・カラファテ)
4月3日(火曜日)
今日は旅のハイライトのひとつペリトモレノ氷河見物に、日本から申し込んでいたツアーで出かけます。
9時ピックアップ。(出発時間が「早朝」でない事を聞いて、シンシアの嬉しそうな顔。
やっぱねー)
ジャストオンタイム、8人乗りのバンがホステルまで迎えに来ました。
ブラジル人のカップルと私達3名、それにガイドとドライバー、以上が今回のツアーグループということらしい。
日本でツアーというと、数十人単位でゾロゾロ、といイメージがあるけれど、こちらでは結構少人数。ま、産業といえばこれしかない土地柄、どれだけ多くのツアー会社がせめぎ合っているのでしょうか。そして、ガイドは英語は必須、教養も必要とされる「ガイド」という職業、こちらでは結構地位も高いのかも。
私たちのガイドはフレンドリーな若いお兄さん。スペイン語で説明した後で、英語で説明をしてくれます。
この氷河の由来から歴史的な地殻の変動等など、結構「微にわたり細にわたり」。カップルは随分と質問などもしていましたがね。
私達にはもっと大雑把で良かったかな・・・ごくろーさまデシタ。
因みに南米ではブラジルを除いて全ての国がスペイン語、ブラジルのポーチギッシュも共通点が多く、お互い理解するのはそれ程苦ではないらしい。
途中アルゼンチン湖の湖畔に立ち寄り、いよいよペリト・モレノ氷河に到着。
ここで3時間の自由時間が言い渡されました。
ちょっとぉ8時間のツアーを申し込んだのに、これって実質5時間じゃないのぉ。(と、言う文句は胸に押し込め・・・)
午後2時のボートの出る時間までまるまる勝手に楽しんで、という事らしい。
3つのトレッキングコースがあるようで、ガイドのお兄さんに「私たちどのコースを取れば良い?」と聞くと、じっと私たちを見て(どこを見たのだろ・・)「う~ん、上級コースでも大丈夫じゃない」と言う。
グレイシャーを下から見上げることができ、一番接近するコースだとか、当然アップダウンの激しいコース。
ガイドのお墨付きを得た私達、意気揚々と出発いたしましたぁ。
木道のトレッキングコース、良く整備されていて、上、中、初級が色分けされて、自分の辿っているコースが一目で分かるようになっています。所々にビューポイントが設けられ、氷河を前に休憩出来る様になっている。
ピクニック気分にはちょっと寒いけど(何せ天然アイスボックス状態)、オバサン得意の舞台設定、バックパックから取り出したワインとツマミ、フルーツも添えて氷河を前に「乾杯!」とイキマシタ。
この地の果てで、氷河を前に、りんごをかじりながらペットボトルのワイン、
最高の贅沢だぜぇ!
氷河の氷で水割りを飲む、という手もあったけど一寸手が届かないわねぇ。
お昼はカフェテリアにて。
会計さんにやっと許可してもらったミートパイとフライドポテトを皆で分け合い、大分テンションが下がったところで、土産物などのヒヤカシでお迎えまでの時間つぶし。会計さんに「買ってよし」と認められたのは絵葉書のみ・・・。
その後のボートツアーでは、海から氷河にさらに接近。
太古から静かに横たわる巨大な氷河、時折ドドーンという崩壊の音が辺に響きます。
横から斜めから下からと十分に氷河を堪能した一日でした。
その日の夕食は、会計さんの指示で残り物の整理。
グロッサリーストアで魚(多分鯖)の缶詰、ピーマン、葡萄などを買い足し、各自持っていたパンに挟んでサンドイッチを作り、部屋でベッドを椅子がわりに、プアー食。
でもね、これが意外に美味しいのです。3人であーだこーだ言いながら。
「明日のランチはピザを食べよう!」と固くお約束をして。
※会計のKさん、別に責めている訳ではないので、お許しを・・・
次回に続く。
[珍客]
夫が昨日、トラックで材木店に行った帰り「お客さんを連れてきた」と、言うのです。
助手席の足元に小さな小さな小さな物体、コノハヅクの幼鳥。
カラスに苛められていたらしい。
一応我が家のゲストルームに放して一晩を過ごしました。
「ネオパークに引き取ってもらう」という事で意見が一致しましたが、超可愛い!
出来る事ならもう少し手元に置いておきたいものだ。でも、野鳥ですからね。
やっぱり、自然に帰すべきでしょう。
今日は旅のハイライトのひとつペリトモレノ氷河見物に、日本から申し込んでいたツアーで出かけます。
9時ピックアップ。(出発時間が「早朝」でない事を聞いて、シンシアの嬉しそうな顔。
やっぱねー)
可愛いアプローチ”Amancay Hostal"→
ジャストオンタイム、8人乗りのバンがホステルまで迎えに来ました。
ブラジル人のカップルと私達3名、それにガイドとドライバー、以上が今回のツアーグループということらしい。
日本でツアーというと、数十人単位でゾロゾロ、といイメージがあるけれど、こちらでは結構少人数。ま、産業といえばこれしかない土地柄、どれだけ多くのツアー会社がせめぎ合っているのでしょうか。そして、ガイドは英語は必須、教養も必要とされる「ガイド」という職業、こちらでは結構地位も高いのかも。
私たちのガイドはフレンドリーな若いお兄さん。スペイン語で説明した後で、英語で説明をしてくれます。
この氷河の由来から歴史的な地殻の変動等など、結構「微にわたり細にわたり」。カップルは随分と質問などもしていましたがね。
私達にはもっと大雑把で良かったかな・・・ごくろーさまデシタ。
因みに南米ではブラジルを除いて全ての国がスペイン語、ブラジルのポーチギッシュも共通点が多く、お互い理解するのはそれ程苦ではないらしい。
途中アルゼンチン湖の湖畔に立ち寄り、いよいよペリト・モレノ氷河に到着。
ここで3時間の自由時間が言い渡されました。
ちょっとぉ8時間のツアーを申し込んだのに、これって実質5時間じゃないのぉ。(と、言う文句は胸に押し込め・・・)
午後2時のボートの出る時間までまるまる勝手に楽しんで、という事らしい。
3つのトレッキングコースがあるようで、ガイドのお兄さんに「私たちどのコースを取れば良い?」と聞くと、じっと私たちを見て(どこを見たのだろ・・)「う~ん、上級コースでも大丈夫じゃない」と言う。
グレイシャーを下から見上げることができ、一番接近するコースだとか、当然アップダウンの激しいコース。
ガイドのお墨付きを得た私達、意気揚々と出発いたしましたぁ。
木道のトレッキングコース、良く整備されていて、上、中、初級が色分けされて、自分の辿っているコースが一目で分かるようになっています。所々にビューポイントが設けられ、氷河を前に休憩出来る様になっている。
ピクニック気分にはちょっと寒いけど(何せ天然アイスボックス状態)、オバサン得意の舞台設定、バックパックから取り出したワインとツマミ、フルーツも添えて氷河を前に「乾杯!」とイキマシタ。
この地の果てで、氷河を前に、りんごをかじりながらペットボトルのワイン、
最高の贅沢だぜぇ!
氷河の氷で水割りを飲む、という手もあったけど一寸手が届かないわねぇ。
お昼はカフェテリアにて。
会計さんにやっと許可してもらったミートパイとフライドポテトを皆で分け合い、大分テンションが下がったところで、土産物などのヒヤカシでお迎えまでの時間つぶし。会計さんに「買ってよし」と認められたのは絵葉書のみ・・・。
その後のボートツアーでは、海から氷河にさらに接近。
太古から静かに横たわる巨大な氷河、時折ドドーンという崩壊の音が辺に響きます。
横から斜めから下からと十分に氷河を堪能した一日でした。
その日の夕食は、会計さんの指示で残り物の整理。
グロッサリーストアで魚(多分鯖)の缶詰、ピーマン、葡萄などを買い足し、各自持っていたパンに挟んでサンドイッチを作り、部屋でベッドを椅子がわりに、プアー食。
でもね、これが意外に美味しいのです。3人であーだこーだ言いながら。
「明日のランチはピザを食べよう!」と固くお約束をして。
※会計のKさん、別に責めている訳ではないので、お許しを・・・
次回に続く。
[珍客]
夫が昨日、トラックで材木店に行った帰り「お客さんを連れてきた」と、言うのです。
助手席の足元に小さな小さな小さな物体、コノハヅクの幼鳥。
カラスに苛められていたらしい。
一応我が家のゲストルームに放して一晩を過ごしました。
「ネオパークに引き取ってもらう」という事で意見が一致しましたが、超可愛い!
出来る事ならもう少し手元に置いておきたいものだ。でも、野鳥ですからね。
やっぱり、自然に帰すべきでしょう。
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10:37
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