
2012年07月29日
壮大なる南米紀行(マチュピチュークスコ)
4月11日(水曜日)
“天空の都市”を堪能した私達、午後の列車でクスコに帰ります。
午前中はのんびりとマチュピチュ村の散策。温泉
があるというので行ってみることに。
両脇に土産物店が並ぶ上り坂をだらだらと登りきったところにHOTSPRINGの地味~な看板が。
屋外のプールに水着を着た人達が浸かっている写真がボードに貼ってありました。
人のいない小さな小屋が建っていて、これが入り口らしい。
心を動かされはしたものの、私たち列車の重量制限(5kg)を生真面目に守り、水着を置いてきてしまったのです。
因みに、列車に乗る際、重量に関してのチェックは全く無く、大きなバックパックを担いた人がいたり、テントの部材らしい大きな荷物を持った人もいたり・・・。たかだか水着を諦めた私達、何だったんだろ
??
残念な気持ちをグッと抑え、再び街の散策。
奥まった高い場所に在りました「住人のエリア」。
生徒は見えなかったけど学校まであり、そこを中心に食料、日用品店、レストランなどが並ぶ通り。レストランのメニューを覗いてみると、観光客エリアの二分の一の値段!「昨日ここまで来るべきだったねー」と反省しつつ、ベーカリーでパンを買い、昨日行ったスーパーで、またまた豚肉の塊
をゲット。
私たち、此処まできて思い切り主婦してるーっ。
P.M2:20発のクスコへの列車はビスタドームで、来るときのエクスペディションに比べ3割弱高い「一番人気」だという列車。
飲み物、おつまみの様なものが「お盆」に乗ってサービスされ、等級の違いを主張しているふうではあります。
そして車内パフォーマンスに、仮面を被った民芸ダンス(ペルー版獅子舞)や、男女の乗務員によるファッションショーのサービス。
モデルの男性がなかなかのイケメンで、後で回ってきた車内販売では、彼の着たアルパカのセーターなど結構売れていましたね。
グッドアイディア
!乗客層を考えると、エクスペディションには無かったわけだ。
隣り合わせになったベネズエラから来たというグループ旅行のおばさん、男性モデルを指して「日本人に似てるわね」って。
「う~ん」、彼女の日本人印象は、ちょっと親日過ぎるのでは?
あれだけのルックスは滅多にいないし~、少なくとも私の周り。
このにこやかなおばさん、東京―京都など3週間をかけて旅行した事があり、3.11の時は「涙が止まらなかった」と言っていました。
確かに日本は、こんな結構身なりの良い人達にとって、その安全性、サービスの充実度、クリーン
な印象は魅力的な観光地なのかもしれませんねー。
オリャンタイタンボに大型バスが待っていて、この時期(雨期)にはクスコまでバスで行きます。
来るときの「ハラハラドキドキ」は全く無くて、情緒の安定したドライバーの御陰で、無事クスコのワンチャク駅に着きました。
クスコプラザで預けてあった荷物をピックアップ、新しい宿“Inti Wai”に到着したのは8:00P・M。
中心広場に近く、抜群のロケーションのその宿は、吹き抜けのロビーの二階部分に客室がぐるっと取り巻いているなかなか立派な建物。
ロビーには夜にもかかわらず、予約していない部屋探しの人々で溢れていて、何とか部屋を確保しようと必死の様相でした。
その人達を横目に、案内された部はなかなか整っていて、これならお湯の心配もいらないでしょ。
←私のベッドの真上が天窓になっていて、三日月が良くみえた。
今夜からは特別なスケジュールもなくクスコで2泊の予定なので、かなりゆったりの気分。
美味しいものを食べてエネルギーの補給しよう。
次回に続く。
[7・26]


また一年が経ちました。
いつもの様に、夫とラスティと全員でカヤックを漕ぎ出し、娘に会いにでかけました。
ところが、出航の時には申し分ない天気だったのが、アウターリーフを越えたあたりで急に雲行きが怪しくなり、終には大粒の雨が!
波まで高くなりカヤックが木の葉のように波にもてあそばれるようになって、顕花などの儀式もそこそこ夫の判断で引き返すことになりました。
もう少し海上で話をしていたかったのに・・・皮肉にも陸に着く頃には雨もおさまり、もとの穏やかな天気になったのです。
時が経ち、娘のことを想う時間も少なくなった現在、きっとヘソを曲げられたのでは、と反省。
ビーチでしばらく波と戯れて、今年の追悼の儀は終わりました。
“天空の都市”を堪能した私達、午後の列車でクスコに帰ります。

午前中はのんびりとマチュピチュ村の散策。温泉

両脇に土産物店が並ぶ上り坂をだらだらと登りきったところにHOTSPRINGの地味~な看板が。

屋外のプールに水着を着た人達が浸かっている写真がボードに貼ってありました。
人のいない小さな小屋が建っていて、これが入り口らしい。
心を動かされはしたものの、私たち列車の重量制限(5kg)を生真面目に守り、水着を置いてきてしまったのです。
因みに、列車に乗る際、重量に関してのチェックは全く無く、大きなバックパックを担いた人がいたり、テントの部材らしい大きな荷物を持った人もいたり・・・。たかだか水着を諦めた私達、何だったんだろ

残念な気持ちをグッと抑え、再び街の散策。
奥まった高い場所に在りました「住人のエリア」。
生徒は見えなかったけど学校まであり、そこを中心に食料、日用品店、レストランなどが並ぶ通り。レストランのメニューを覗いてみると、観光客エリアの二分の一の値段!「昨日ここまで来るべきだったねー」と反省しつつ、ベーカリーでパンを買い、昨日行ったスーパーで、またまた豚肉の塊

私たち、此処まできて思い切り主婦してるーっ。

P.M2:20発のクスコへの列車はビスタドームで、来るときのエクスペディションに比べ3割弱高い「一番人気」だという列車。
飲み物、おつまみの様なものが「お盆」に乗ってサービスされ、等級の違いを主張しているふうではあります。
そして車内パフォーマンスに、仮面を被った民芸ダンス(ペルー版獅子舞)や、男女の乗務員によるファッションショーのサービス。
モデルの男性がなかなかのイケメンで、後で回ってきた車内販売では、彼の着たアルパカのセーターなど結構売れていましたね。
グッドアイディア

隣り合わせになったベネズエラから来たというグループ旅行のおばさん、男性モデルを指して「日本人に似てるわね」って。
「う~ん」、彼女の日本人印象は、ちょっと親日過ぎるのでは?
あれだけのルックスは滅多にいないし~、少なくとも私の周り。

このにこやかなおばさん、東京―京都など3週間をかけて旅行した事があり、3.11の時は「涙が止まらなかった」と言っていました。
確かに日本は、こんな結構身なりの良い人達にとって、その安全性、サービスの充実度、クリーン


オリャンタイタンボに大型バスが待っていて、この時期(雨期)にはクスコまでバスで行きます。

来るときの「ハラハラドキドキ」は全く無くて、情緒の安定したドライバーの御陰で、無事クスコのワンチャク駅に着きました。
3日振りのクスコの町→
クスコプラザで預けてあった荷物をピックアップ、新しい宿“Inti Wai”に到着したのは8:00P・M。
中心広場に近く、抜群のロケーションのその宿は、吹き抜けのロビーの二階部分に客室がぐるっと取り巻いているなかなか立派な建物。
ロビーには夜にもかかわらず、予約していない部屋探しの人々で溢れていて、何とか部屋を確保しようと必死の様相でした。


←私のベッドの真上が天窓になっていて、三日月が良くみえた。
今夜からは特別なスケジュールもなくクスコで2泊の予定なので、かなりゆったりの気分。
美味しいものを食べてエネルギーの補給しよう。


[7・26]


また一年が経ちました。
いつもの様に、夫とラスティと全員でカヤックを漕ぎ出し、娘に会いにでかけました。
ところが、出航の時には申し分ない天気だったのが、アウターリーフを越えたあたりで急に雲行きが怪しくなり、終には大粒の雨が!
波まで高くなりカヤックが木の葉のように波にもてあそばれるようになって、顕花などの儀式もそこそこ夫の判断で引き返すことになりました。

もう少し海上で話をしていたかったのに・・・皮肉にも陸に着く頃には雨もおさまり、もとの穏やかな天気になったのです。
時が経ち、娘のことを想う時間も少なくなった現在、きっとヘソを曲げられたのでは、と反省。

ビーチでしばらく波と戯れて、今年の追悼の儀は終わりました。
Posted by よさこい at 15:50│Comments(0)
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