
2012年09月10日
壮大なる南米紀行(サンペドロ・デ・アタカマ)
4月19日(木曜日)―20日
サンペドロアタカマという小さなオアシスの町。
此処を起点に様々なツアーが出ている、観光基地の町というところ。
バスを降りるとすぐに客引きおじさんが寄ってきて「今夜の宿は決まってる?」。
その中でなるべく外見の良さげなオジサンを選び、(この選択は百戦錬磨のオバサンだから出来ること。若いお嬢さんはやめときましょうねぇ
)自転車を押す後に付いて行きました。
案内されたのは、パティオのある小奇麗な宿。一応部屋を見せてもらいそのままそこに泊まることにしました。
トリプルの部屋は庭を取り囲むように建てられており、木陰には木造のテープル、椅子やハンモックが置かれ、ゆったりとくつろげるスペースがいかにもリゾートタイプの快適な造りになっています。
こりゃあ1泊はないっしょ。
よぉし、今度来るときは!
塩湖の周り、温泉に浸かったりとこの世の楽園、ピュアな世界で魂の洗濯を、心に積もった垢落としをしたら、生まれ変わることができるかなー、ついでに年も若返るといいんだけどねー・・・
さて、いい気分のまま、めいめいの持っているハングオーバーの食べ物を木陰のテーブルの上に並べ、取り敢えずランチタイム。
その後夕方のツアー探しに出かけることにしました。
町は全て歩いて事の足りる広さ、格子状の通りにはそれぞれ名前が付いているので、まず間違う心配はない。
通り沿いにはツーリストが軒並み、様々なツアーの玄関口になっています。
その中でも「月の谷の夕日ツアー」は目玉で、どこでも扱ってはいるものの、値段、内容に若干の差があるようです。
とは言え、当日でもあり出発時間は数時間後に迫っていて、今回は選択の余地無し、3人まとめての「空き」が問題なのでしたぁ。
数箇所廻ったところでやっと「空き」を見つけ、身振り手振りで予約成立。
午後4時スタート。
私の喉の具合は悪化の一路を辿り、唾を飲み込む度に激痛が走る。
体も何となくダルい。
体は部屋で休めと言っているようだけど、せっかく此処まで来たのだから・・・夕日が沈むまで頑張るかー。
Kさんに抗生剤をもらい、発熱はかろうじて抑えられている感じ・・・。
これから街を散策するという元気な二人と別れ、私はホテルに直帰で夕方に備え、ベッドに横になりました。

英語ガイド付き“月の谷ツアー” 8名乗りのバンは観光客で満席状態。
月の谷は予想を上回り、別世界の感動おぉ!
太古の時代、氷河だったという峡谷、そこを抜けると遥か彼方まで続く月面状態の山々。
目前に迫る山は巨大な砂山で、最初アリ粒の様に見えた人影は若者たちがサンドスキーに興じているところでした。
このサンドスキーは言わば砂を雪に見立たスノーボード、「若者限定スポーツ」という感じです。
それにしても砂漠だと一年中やれるという訳ねー。

実家に帰った際、オーストラリアでサンドスキーを体験したという姪に「かっこ良かったよー
!」と言ったところ、「あれねー、見た目ぇほどカッコえいもんじゃないでぇ(土佐弁)」とか。
目や鼻、耳など穴という穴に砂が入り、転ぶ度、悲惨な苦しみに悶えなければならないという・・・。
なるほど、止めておいて良かったぁ。
奇岩の迫ってくる場所、プラネットワールドの気分を味わって、歩くこと約1時間。
ガイドのおじさんが時計を気にし始め、慌てた様子でやたらと急かす。
そっか、このツアーの目的はサンセット。間に合わなければ料金返金の憂き目に会うのでしょうか。
元来た道をスピードを上げて走るはしる。

結果、数分前にビューポイントに滑り込みセーフで夕日ツアーの面目を保ちましたねー。

太陽が沈むにつれ、遠くの山々がピンクやブルーに刻一刻と変わっていく様はほとんど幻想的でさえありました。
〆の夕飯はガイドお勧めのレストランにて。
喉に負担のない具だくさんスープを注文、他のビーフ、サラダもなかなかで、今回の旅行で「5指に入る食事内容」だと、皆の見解が一致しました。
長かった一日が終わり、ベッドに入る事がこれほど嬉しく感じたのは今回の旅行で初めての経験ですぅ。
予定では明日、夜行バスに乗ってペルーのアレキパに向かうはずが、その行程に問題発生!
アレキパまで直行便が当然あるものだと思っていたら、インターナショナルバスはこの街からは出ていないとの事。
で、ルートとしてはハイヤーでチリの国境の町アリカまで行ってイミグレーションを通過したあと、ペルーのタグナというバスターミナルのある町に行き、アレキパ行きのバスに乗る。
これが最短コースらしい。予定していた時間より約半日のロス。
でもま、3泊4日を予定していたウユニツアーが2泊3日で一日浮いたし、差し引き半日、このぐらいの誤差は想定済みかぁ。
ただ、私の体調は想定外なのですー。
次回に続く
[暑い、熱ーい一日]
昨日、9・9は「オスプレイ反対」の県民大会の日。
今帰仁村の用意したバスに乗って浦添の会場に行ってきました。
レッドカードの赤のTシャツ、帽子には赤のハイビスカスでちょっぴりオシャレして。
10万人を越す人出、それなりにインパクトのある大会ではありましたが、静まり返った基地を見ると、このエネルギーが何となく虚しく感じられるのです。
もっと直接的にやれることはないのでしょうか。

例えば、基地の周りを取り囲みシュプレヒコール
、出入りする車にブーイング
を浴びせる。
軍用機の騒音に対しては巨大拡声器で米軍基地に向けて「カチャーシ
」の音楽を一日中流す。
米軍の兵隊には全てにおいて販売価格を釣り上げる。
潤沢な“思いやり予算”で「住みやすい沖縄」。
せめて嫌がらせをして「住みにくいなー」と思わせなくちゃ。
以上、沖縄おばぁの意見よねー。
サンペドロアタカマという小さなオアシスの町。
此処を起点に様々なツアーが出ている、観光基地の町というところ。
バスを降りるとすぐに客引きおじさんが寄ってきて「今夜の宿は決まってる?」。
その中でなるべく外見の良さげなオジサンを選び、(この選択は百戦錬磨のオバサンだから出来ること。若いお嬢さんはやめときましょうねぇ

案内されたのは、パティオのある小奇麗な宿。一応部屋を見せてもらいそのままそこに泊まることにしました。
トリプルの部屋は庭を取り囲むように建てられており、木陰には木造のテープル、椅子やハンモックが置かれ、ゆったりとくつろげるスペースがいかにもリゾートタイプの快適な造りになっています。

よぉし、今度来るときは!

さて、いい気分のまま、めいめいの持っているハングオーバーの食べ物を木陰のテーブルの上に並べ、取り敢えずランチタイム。

その後夕方のツアー探しに出かけることにしました。
町は全て歩いて事の足りる広さ、格子状の通りにはそれぞれ名前が付いているので、まず間違う心配はない。

その中でも「月の谷の夕日ツアー」は目玉で、どこでも扱ってはいるものの、値段、内容に若干の差があるようです。
とは言え、当日でもあり出発時間は数時間後に迫っていて、今回は選択の余地無し、3人まとめての「空き」が問題なのでしたぁ。
数箇所廻ったところでやっと「空き」を見つけ、身振り手振りで予約成立。
午後4時スタート。
私の喉の具合は悪化の一路を辿り、唾を飲み込む度に激痛が走る。


体は部屋で休めと言っているようだけど、せっかく此処まで来たのだから・・・夕日が沈むまで頑張るかー。

Kさんに抗生剤をもらい、発熱はかろうじて抑えられている感じ・・・。
これから街を散策するという元気な二人と別れ、私はホテルに直帰で夕方に備え、ベッドに横になりました。


英語ガイド付き“月の谷ツアー” 8名乗りのバンは観光客で満席状態。
月の谷は予想を上回り、別世界の感動おぉ!

太古の時代、氷河だったという峡谷、そこを抜けると遥か彼方まで続く月面状態の山々。

このサンドスキーは言わば砂を雪に見立たスノーボード、「若者限定スポーツ」という感じです。
それにしても砂漠だと一年中やれるという訳ねー。


実家に帰った際、オーストラリアでサンドスキーを体験したという姪に「かっこ良かったよー

目や鼻、耳など穴という穴に砂が入り、転ぶ度、悲惨な苦しみに悶えなければならないという・・・。
なるほど、止めておいて良かったぁ。

奇岩の迫ってくる場所、プラネットワールドの気分を味わって、歩くこと約1時間。
ガイドのおじさんが時計を気にし始め、慌てた様子でやたらと急かす。

そっか、このツアーの目的はサンセット。間に合わなければ料金返金の憂き目に会うのでしょうか。
元来た道をスピードを上げて走るはしる。


結果、数分前にビューポイントに滑り込みセーフで夕日ツアーの面目を保ちましたねー。




〆の夕飯はガイドお勧めのレストランにて。
喉に負担のない具だくさんスープを注文、他のビーフ、サラダもなかなかで、今回の旅行で「5指に入る食事内容」だと、皆の見解が一致しました。
長かった一日が終わり、ベッドに入る事がこれほど嬉しく感じたのは今回の旅行で初めての経験ですぅ。
予定では明日、夜行バスに乗ってペルーのアレキパに向かうはずが、その行程に問題発生!

アレキパまで直行便が当然あるものだと思っていたら、インターナショナルバスはこの街からは出ていないとの事。

で、ルートとしてはハイヤーでチリの国境の町アリカまで行ってイミグレーションを通過したあと、ペルーのタグナというバスターミナルのある町に行き、アレキパ行きのバスに乗る。
これが最短コースらしい。予定していた時間より約半日のロス。
でもま、3泊4日を予定していたウユニツアーが2泊3日で一日浮いたし、差し引き半日、このぐらいの誤差は想定済みかぁ。
ただ、私の体調は想定外なのですー。

次回に続く

[暑い、熱ーい一日]

昨日、9・9は「オスプレイ反対」の県民大会の日。
今帰仁村の用意したバスに乗って浦添の会場に行ってきました。

レッドカードの赤のTシャツ、帽子には赤のハイビスカスでちょっぴりオシャレして。
10万人を越す人出、それなりにインパクトのある大会ではありましたが、静まり返った基地を見ると、このエネルギーが何となく虚しく感じられるのです。
もっと直接的にやれることはないのでしょうか。

例えば、基地の周りを取り囲みシュプレヒコール


軍用機の騒音に対しては巨大拡声器で米軍基地に向けて「カチャーシ

米軍の兵隊には全てにおいて販売価格を釣り上げる。

潤沢な“思いやり予算”で「住みやすい沖縄」。
せめて嫌がらせをして「住みにくいなー」と思わせなくちゃ。
以上、沖縄おばぁの意見よねー。

Posted by よさこい at 16:20│Comments(0)